風邪はだいぶ良くなった。喉の痛みももう殆どない。それでもまだ幾らかは咳が出るし、大量の鼻水のせいで鼻の粘膜が荒れているようなところはあるが、これももう二、三日で治まると思う。


今日は本当によく晴れている。真っ青な空がまるで夏空のようだ。しかし、そうはいってもあまり日差しに当たりすぎると体力を消耗してしまうのでよくよく気をつけなければならないだろう。


今日はこれだけよく晴れているが、二週間予報ではこの先の天気は曇りや雨の日が多くなるとのことらしい。ついこの間桜の花が終わったような気がしていたが、知らぬ間にもう梅雨の時期が近付いてきていたようだ。思えば、近所の家々に植えられてある紫陽花の花が咲き始めているほどだから、まぁ当然といえば当然のことでもある。今朝見た紫陽花は、まだ花は小ぶりだし満開になるまでにはもう少し時間がかかるようだったが、まだほとんど色付いていない白っぽい花びらを無数につけた花の塊が風に揺られながらゆらゆらと揺れていた。


そうしたことに気をつけて周りをよく見てみると、ドクダミも小さな白い花を咲かせていた。紫色で縁取られた黒いほどの濃い緑の葉を、まるで周囲に自分の存在を主張するかのように鬱蒼と繁らせていて、その濃い緑の中に小さな愛らしい花がぽつぽつと、まるで花柄のように配されていた。お茶に使われるようなこともある植物だが同時に厄介な雑草でもあって、中学の頃は、よく校舎の日の当たらないような湿った場所にやたらと生えてきていたのをよく覚えている。




私の通った中学校では、教育の一環としての意味もあったのだろうが、全校生徒が一斉に行う除草作業があった。だいたい年に二、三回ほどであったと思うが、そうした中でも丁度今頃の季節の行われるような除草作業がとにかく嫌で、本当に大嫌いだった。なぜなら私は尋常ではないほど虫が苦手だからである。いや、苦手どころで収まるようなものではなく、私にとってのそれは嫌悪と恐怖の象徴と言っていいくらいのものなのだ。それは随分時間が経った今でも少しも変わるところがない。とにかく、足が四本より多いものは全く生理的に受け付けないのである。そんな私にとって、虫がうじゃうじゃいそうな初夏の草むらに挑んでゆくことがどれほど恐ろしいことかは、同じような虫嫌いの人間以外にはなかなか理解できないことだろうと思う。


そうはいってもこればかりは強制参加なのである。逃げられれば逃げたいものだが、残念ながら逃れようがないのだ。


うんざりするような暑さと草いきれの中、校庭や中庭、校舎の周りに繁った雑草を全校生徒で黙々と刈り続ける。暑さと虫の両方が苦手な私にとって、これは二重の苦しみである。今でこそ昔話と笑って話せるが、その頃は熱く熱した地面を見つめながら、一体誰がこんなことを考えついたのかと心底呪わしく思ったものである。


高く生い茂った雑草の中にちょっと足を踏み込むだけで、ピョンピョンとバッタが跳ね出てくる。虫全般が大嫌いな私にとってはどれが嫌いだのということはないのだが、その中でもこのバッタの類はとにかく気持ちの悪いもののひとつである。コオロギなどに至っては私の目にはゴキブリと同じものにしか見えない。そうした私のような人間が、そうしたものの棲息圏の中に足を踏み入れてゆくのだから、とにかく草むらの茂みが恐ろしいのである。


作業をさぼる訳ではないが、私自身がそうした虫嫌いの人間なので、出来るだけそうしたものと遭遇する確率の低い場所へと私は紛れ込んで逃れるようにしていた。校庭や校舎の周囲の、比較的学校の外と接している場所は虫と遭遇する危険性が高かったので、私は努めて校内の中庭などへ紛れ込んで作業をするようにしていた。中庭は校舎に囲まれていて人通りも多く、四方へ遊歩道が通っていたので、その他の場所よりも圧倒的に虫が少なかったからである。中庭のたいていの場所は日当たりがよかったが、場所によっては一日中、直接日の当たらないような所もあった。そうした場所のひとつに、刈っても刈ってもすぐにドクダミが生えてくる場所があって、その除草作業のたびに随分苦労させられたのをよく覚えている。ドクダミはただ生えているだけの状態であっても独特の匂いのする植物だが、駆除の為に葉や茎などを傷つけたりすると、独特の篭ったような、趣味の悪い香水のような不快な匂いを辺りに撒き散らす厄介な性質を持っているのである。そうした除草作業が行われるような頃には、彼等は雑草特有のとてつもない生命力を発揮してかなり広範囲に生い茂っている場合が多かった。そのため、それら全てを刈り取って駆除し終わると、その量はかなりのものになった。ドクダミに触った手が臭かったりベトベトしているのも勿論嫌だったが、何より嫌だったのは駆除した大量のドクダミから発せられる気分の悪くなるような匂いだった。今思い出しても胸が悪くなる。



随分と取るに足らない愚痴を話してしまった。中学校を卒業してから随分経つが、面白くなく思った事というのは案外細かいところまでよく覚えているものである。今は昔ほどそうした作業自体が嫌いではなくなったが、それでも、やはり誰からか強制されて何かをやらされるのは、大人になってもやはり嫌なものだ。