先日奈良に行きました。同じ古都でも京都と違って寺社の敷地が広くて悠久感があるので好きです。興福寺や唐招提寺、法隆寺、薬師寺などの寺社巡りと、キトラ古墳や石舞台などの古墳巡りをして周ったのですが、そのとき。



東大寺にある運慶の仁王像を見て思いました。さすが運慶。仁王像の迫力が凄い。躍動する筋肉は生きている生身のようで、高さは8メートルあるそうで上から見下される威圧感もいや増しである。日本の仏像彫刻の頂点は運慶、快慶だが、この天才たちがここまで進化させたのに、なぜ仏教彫刻はこの後冴えなくなるのか。不思議ですよねえ。
夏目漱石の「夢十夜」に東京の護国寺に運慶が来て仁王像を彫る話があるが、帰京後改めて護国寺の仁王像を見に行く。

文京区にある護国寺は1681年5代将軍徳川綱吉が生母桂昌院のために建立した、江戸時代の雰囲気を残した寺だ。真言宗豊山派の大本山で、敷地内に豊山派の宗務所があり、隣に日大豊山高校があったりする。
神楽坂から江戸川橋を通って突き当りの護国寺まで音羽通りの真っ直ぐの道路は、元来参道だったのだと思うと立派なものである。
護国寺の仁王門は切妻造、丹塗りの門で1697年に造られたそうだ。この門には2体の仁王像がある。右側が阿形像、左側が吽形像。


夏目漱石の「夢十夜」の話というのは、第六夜で、運慶が護国寺に来て仁王像を彫っていると聞いて漱石も見物に行くと既に多くの野次馬が集まっているという話である。もちろん夢だ。
もちろん明治の世に、平安時代末期から鎌倉時代に活躍した運慶がいるはずがないのだが、東大寺の仁王像を見てしまうと、護国寺の仁王像はなんとも弱々しい。頭が大きく身体のバランスが悪いのだ。護国寺の仁王像の制作者は不明だそうだ。
「夢十夜」では野次馬の男が、運慶の彫刻は木の中に仏様が隠れているのでそれを見つけて彫り出すだけだから簡単らしい、と言う。その言葉に触発されて漱石は木を運んできて彫ってみるが、いくつ彫っても木の中に仏様は居ないという夢だ。
第六夜のテーマは『自然との一体化を忘れてしまった近代化する明治の日本文化への絶望と批判』などと言われているが、反省するなら50年100年の短い話ではなく、運慶がいた12世紀以降700年くらい、自然との一体化は疎かになっていたのではないか。というか、康慶、運慶、快慶、湛慶以降の仏教彫刻界の問題なのではないかとつくづく思うのであります。
