驚くべきことに私はこれまで東野圭吾を読んだことがなかった。映画やドラマは見たし、なんとなく読んだつもりでいたのだが、改めて記憶をたどると読んでいない。それはもったいない!馴染のBARでバイトの子とそんな話をしていて、ならば何を読んだら良いのかと訊いてみたらいろいろ挙げられた後で、後日、最初に読むならこれらしいですよ、とバイトのRが貸してくれた。講談社が言うのだからそうなのかもしれない。ミステリではないの?ラヴストーリー好きじゃないですか。ということでこれになった。


「パラレルワールド・ラブストーリー」

毎朝隣を並行して走る電車の窓の向こうに立っている女の子に崇史は恋をする。しかし彼女とは話すこともできない。数年後、親友の智彦に恋人の麻由子を紹介された。それがあの電車の中の女の子だった!ここまではすごく良い。切なさが堪らないのだ。

しかし、ある日目が覚めると隣に麻由子が寝ていた。麻由子は以前から崇史の恋人で今は同棲しているという。ここで2つのストーリーが交錯しながら進んでいく。次第に「記憶」を取り戻しながら混乱していく崇史。どっちが本当なのか。そして智彦も麻由子も彼の前から姿を消す。何が起きているのか!


 

 



最初に言っておくと、これはラブストーリーとしては残念な出来だ。まずは麻由子の魅力が描けてないのだ。美人とは書いてある。それだけ?智彦と崇史と三角関係になるのだが、智彦や崇史の魅力もよくわからず、麻由子は結局告白されたら相手は誰でも良いやつ感を漂わす。東野はストーリーのアイデアで突っ走って書いている。さらに残念なのは主役の3人が揃って現実から逃げることだ。若きウェルテル以来の永遠の悩みを前になんとも安易だ。




タイトルに騙されてはいけない。これは、記憶操作系のSFなのだ。

この本が出たのは1998年。映画にもなったのね。私も自分の記憶が信用できないので調べてみると、映画「ペイチェック」や「シャッターアイランド」「メメント」等の記憶ものが作られたのが2000年代初め、類似テーマの小説も同じ頃に出ており、そいう意味でこの本は先駆けだったのかもしれない。あの頃は記憶書き換えものが確かに流行っていた。




そもそも記憶って何なのか?という話は脳科学者がよく言う話で、幻覚だって記憶に残るので記憶が事実ということは最初からあり得ない。幻覚は薬で消せると言うのなら記憶と幻覚の違いは何か、記憶って実在するのか、という話になる。そして、話の最後の方で麻由子は呟く。「自分なんてないのよ。あるのは、自分がいたという記憶だけ。みんなそれに縛られてる。あたしも、あなたも」彼女は記憶の存在を信じている。信じるも何も頭の中にあるのだから信じるしかないだろう。だからそれを何とかできれば人生は変えられるというわけだ。


そして、私の記憶も最近では何者かに始終消されていくのだが、誰かによる陰謀なのか実験なのか年齢のせいか、こうなってくると読み方も変わってくるものです。