大雁塔から長安の街を見下ろす



夢枕獏の「沙門空海、唐の国にて鬼と宴す」は面白かったが、映画の方は今ひとつだった。







とはいえ、あの映画が公開されていた頃、この眼で見たいと思い立ち、長安に行ったときのことである。長安は今の西安の一角にあたる。もちろん今は長安とは言わない。大きな街に着いたらまず高い塔に昇って街の全容を掴むべし。宿屋では城壁を勧められたが、ここはやはり大雁塔に昇る。玄奘三蔵が(たぶん悟空と一緒に)天竺から持ち帰った経典や仏像を納めるために建てた7層ある高層の塔だ。最上階の窓から長安の街を一望できる。玄宗皇帝と楊貴妃も、あの空海や橘逸勢、阿倍仲麻呂、白楽天も眺めたであろう街並み。素晴らしい…思ったことがそのまま口をついて漏れ出た。





652年建立の​大雁塔。とはいえ何度か建て直されている




「実はねえ、この街レプリカなんですよ。戦争や何やかやで燃えちゃったから」と案内してくれた中国人ガイド。えええっ、何ですと!作りもの⁈

そして続けて「本当の長安を感じたかったら日本の京都が一番です」と目を細めて言う。

なんで、良い気分なところでそんなことを言う!

返す言葉が思いつかず「この広さのレプリカを作るなんてさすが中国、スケールが大きい」と言いながら顔が引き攣る。




龍門石窟の力強い石像




この細かな襞!流石に1500年も保たない


洛陽の世界遺産龍門石窟に行った時のこと。とにかく見事な仏教彫刻の数々。その繊細で精緻な彫りは中国でも随一で、やたらと感嘆の声を上げていた。すると「これもねえ、ほとんどは最近作ったものなんです。何やかやで壊れちゃっていたから」なにーっ!「でも世界遺産でしょ?」と私。「もちろん、昔のままのところもありますよ。そこが世界遺産」




なんだこの細かさは!


うーん。「何やかや」というのは歴史の中で起きた数々の国取り合戦や内乱から日中戦争まで。そして20世紀初め欧米列強に半植民地化された時に自国に勝手に運ばれてしまった。さらに従来の文化や宗教を否定した文革。そしてまた長い歴史の中での風化劣化などなどだ。そもそも外気に曝された石窟が1000年以上もきれいな状態を保てるわけがないのだ。


しかし最近の中国は、かつての文化を見直そうと

ふるさと再生計画などと併せて修復や再建に力を入れている。だから見事な歴史を感じるのだがよく聞くとレプリカだったりする。


法隆寺みたいなものをイメージして当時のものそのままでこそ『歴史』という気になっていたが、日本でも多くの城は再建されてたり天守閣を建ててみたり、金閣寺だって建て直してから築70年だし。では何が『本物』なのか。今の金閣寺は偽物なのか?いや違う。同様に、あの長安の街だって偽物ではないのだ。



嘘はいけないが自虐的なのも良くない。こっちは考古学者でも古物商でもないのだから古いものが見たいのではない。何が観たいんだろう。そう、空気を感じたいのだ。今でも凄いのだから当時は本当に凄かったんだろうな。


ところで偽物って何だろう?逆に言えば本物であることにどれだけの意味があるのだろう。唐の国にてそんなことを思った。