僕が今関っている、
合志マンガミュージアムのある合志市には、
かつて合志義塾という私塾があった。


明治25年から昭和24年までの約60年間、
私立の農業学校として合志という農村地帯に存在した。

 

その合志義塾のことをマンガ化したのが
「カタルパの樹」という作品である。

 

このマンガの原案は
クママンの代表である橋本さんが作っている。

 

この「カタルパの樹」が、
地元のテレビ局によってドラマ化され、
明日の夕方放送される。


おそらく熊本ローカルだろうから、
他の地域の人は見れないだろうが、
僕は楽しみにしている。

 

合志マンガミュージアムでは、
合志義塾へのオマージュとして、
月に二回、合志マンガ義塾と題して、
マンガに関する勉強会を開いている。

 

来月の25日には僕が講師として、
講義を担当することになっている。

 

マンガの整理中に倉庫で

「新耳袋」をマンガ化した本を見つけた。

 

「新耳袋」は、大阪芸大で同期だった、

木原浩勝と中山市朗が蒐集した、

実話怪談を集めたシリーズで、

第一夜から第十夜までの10冊が刊行され、

日本に実話怪談ブームを巻き起こした。

 

その後このシリーズは、

マンガ化されたり、ドラマ化されたり、

映画化されたりしたが、

これはそのマンガ版である。

 

しかも中でも怖いと評判の

第四夜の「山の牧場」という話である。

 

これは作者の2人が、

大学の卒業制作で自主映画を作っている時に、

偶然見つけた山奥の牧場の廃墟が、

意味不明な、禍々しい要素であふれていた、

というような内容の話で、

作者はUFOとの関連を感じ、

身の危険さえ覚えて、

長く封印にしていた話であった。

 

この話は都市伝説となり、

雑誌で取材されたり、

テレビで放送されたりしたが、

結局真相はわからないままである。

 

しかし色んなマンガがある倉庫である。

 

クママンが合志市から委託されて開催した、
シンポジウムのゲストとして
みなもと太郎先生が招かれて熊本までいらっしゃった。


僕はみなもと先生の接待を仰せつかったが、
接待といってもマンガマニアのみなもと先生が、
クママンの巨大倉庫を物色するのを
横について見ているだけの仕事であった。

 

みなもと先生は16時半頃に倉庫に着き、
なんと22時頃までマンガを物色していた。

 

途中僕はみなもと先生と、
同行された息子さんを、
近くのラーメン屋にご案内し、
そこで少しお話する機会があった。

 

クママンとのなれそめを聞かれて、
マンガミュージアムに自分の本を寄贈したいと思い、
それがきっかけで交流が始まったと言うと、
「どんな本を寄贈したの?」と聞かれ、
東村アキコとかハロルド作石の著作などです
とお答えすると
「最近の人ばかりだね」と、
みなもと先生はみんな知っておられた。

 

次の日のシンポジウムで、
現在70歳のみなもと先生は、
50歳くらいの時、
月に100ページのマンガを書いていたが、
少し仕事量を減らそうと思って、
月に30ページくらいにセーブしたところ、
時間が余ってしまって、
その時間を使って同人誌を作り、
コミケに出品したという話をされた。

 

本当にマンガが好きなんだなあと、
あらためてこういう大人がいることを頼もしく思った。

 

最後にクママンの橋本さんが、
「これからのマンガはどうなっていくと思いますか」
と質問したら
「カミのマンガは滅びるかもしれないけど」
とみなもと先生がおっしゃって、
僕はその「カミ」という言葉に、
勝手に「神」という言葉をあてはめて、
神が人間に書かせていたマンガは、
もう滅びる、つまり神は滅びるんだと、
勝手な解釈をして聞いていた。

 

それに続くみなもと先生の言葉は
「デジタルなんかに移行してしまうかもしれないけど」
であった、ああそうか、
「紙のマンガ」という文脈か、と理解したが、
僕にとっては一番示唆に富んだお言葉だった。

 

写真はサイン会でいただいた、
みなもと先生のサイン

 

まずは永井豪の

「へんちんポコイダー」と
「へんき〜んタマイダー」
永井豪さんは、
本当にくだらないマンガを書くので、
大好きです。

 

 

マンガの本だけでなく、
マンガに付随する、
このようなものも時々出てきます。


スーパーアダルトアニメという
キャッチコピーがたまりませんね。


しかも今は簡単には見られない、
VHSというところがいいですね。

 

エロが詰まった開かずの小箱。
どんなスーパーな内容なのか、
夢が膨らみます。

 

 

その贋作作家は元は石ノ森章太郎の
アシスタントをしていたそうだ。

 

何かのお礼だか記念だかに、
石ノ森章太郎直筆の
「竜神沼」のカラー原稿をもらい、
大切にしていたのだが、
生活に困り、まんだらけに売ることになった。

 

破格の価格で買い取ってもらったのだが、
手離す前に模写しておこうと思い立ち、
丁寧に模写したところ、
それがあまりにもそっくりで、
書いた本人が、
どちらが本物か見分けがつかないくらいだった。

 

そこで本人にしかわからない目印を書き込んだそうだ。
その目印は何なのかはわからない。

 

その絵だけでなく、同じ人が、
手塚治虫や永井豪も模写しており、
それぞれに何かの目印を入れているそうだ。

それは例えば横断歩道のところに
原画にはない斜線を入れたりとか。


しかし原画と見比べない限り、
本物なのか模写なのかはわからないそうだ。

 

その人が模写ばかりの展覧会を
開催しないかとクママンに持ち掛けてきたのだが、
著作権的にやばいので断ったそうだ。

 

マンガに詳しい人と会って話す機会が増え、

面白い話を聞く機会が増えた。

 

昨夜の食事会で、

藤子マニアの人から聞いた話。

 

藤子・F・不二雄さんが、

「T・Pぼん」という作品を

単行本化するにあたって、

あるコマの絵を1コマだけ書き直した。

 

元のコマは切り取られ、

新しく書いたコマが上から貼られた。

 

切り取ったコマは

アシスタントが持ち帰ったらしく、

それが回り回って

オークションに出品された。

 

単行本には新しいコマが印刷されているので、

その出品されたコマが本物であるかどうかは、

掲載された雑誌と比較検討され、

本物であると認定された。

 

藤子・F・不二雄さんの直筆原稿は、

保管されていたものは全て

藤子・F・不二雄ミュージアムに寄贈されているので、

ある年代より後の生原稿が、

市場に流出することはほぼないという。

 

そのため出品された1コマは、

130万円で落札されたそうだ。

小林まことの

「青春少年マガジン1978~1983」というマンガがある。

これはマンガ家を志していた小林まことが

「少年マガジン」でデビューして

「1・2の三四郎」というヒット作を生んで、

売れっ子マンガ家になっていく、

汗と涙のサクセスストーリーなのだが、

この中にほぼ同じ時期に「少年マガジン」で活躍していて、

小林まことと新人3バカトリオとしていつも行動を共にしていた、

大和田夏希と小野新二というマンガ家が出てくる。

 

小野新二、小林まこと、大和田夏希

 

僕はもともと小林まことのマンガも、

そんなに愛読していたわけではなく、

なんとなく知っているという程度で、

大和田夏希と小野新二のことは全く知らなかった。

 

それでも小林まことの

「青春少年マガジン1978~1983」は

とても面白いマンガで、

何回も繰り返し読んでいた。

 

最近大量のマンガの本を

整理分類する仕事を始めて、

その膨大な蔵書の中から、

大和田夏希の作品も、

小野新二の作品も出て来て、

初めて現物を目にすることになった。

 

これが小野新二の「純のスマッシュ」

 

どちらのマンガもすでに

懐かしマンガ、プレミアマンガに属する、

日焼けしてほこりにまみれた、

かなりの年代ものなのだが、

1978年から1983年頃の、

希望に満ちた少年マンガの

前向きな空気にあふれた、

若々しくて初々しい、

少年の汗臭い野球帽や、

安い駄菓子の香料のような

懐かしい記憶が甦って来る香りがする。

 

大和田夏希は精神のバランスを崩して1994年に自殺。

小野新二は過労がたたって1995年に肝臓の病気で死亡。

小林まことはこの「青春少年マガジン」を、

ボロボロと涙を流しながら書いたという。

 

これが大和田夏希の「タフネス大地」

 

これらの貴重なマンガ本と作業場で出会った僕には、

懐かしいというのでもなく、

悲惨というのでもなく、

なんとも言いようのない感情が湧き上がってきた。

 

おそらくここにある何万冊というマンガの

ひとつひとつにこんな物語があるのだろう。

知らず知らずのうちに

それを感じながら仕事しているのだろう。

 

久し振りのマンガ紹介、

まずは「いけないルナ先生」


僕はこのマンガの読者の世代ではありませんが、
80年代後半に月刊マガジンに連載され、
子供たちが熱狂し、
PTAからは顰蹙を買っていたという問題作。


仕事の合間にパラパラっと見てみましたが、
結構エッチでした。

 

次は「ポケバイキッド」

このマンガも読んだことはありませんでしたが、

表紙を見て一発で引き付けられました。

 

なぜなら作者は「エコエコアザラク」の

古賀新一先生で、表紙に書かれている、

主人公と思われる少年の顔が

黒井ミサにそっくりだったからです。

 

 

仕事の合間にパラパラっと見てみたら、
結構グロい登場人物がたくさんいました。

 

そして今日、

コンテナに本を詰めて台車で運んでいたら、
段差に引っかかってコンテナが倒れ、
町役場の玄関にマンガの本をバラまいてしまいました。


それがよりによって立原あゆみの
「本気!(マジ)」というヤクザ漫画、

役場の職員の方が助けに来てくれたのだが、
ものすごく気まずい思いをした。

 

 

山野一の「四丁目の夕日」だが、
この作品は1985年の7月から1986年の7月まで、
一年間「ガロ」に連載された。

 

僕はこの作品をリアルタイムで読んでいて、
毎月「ガロ」が発売されるのを心待ちにしていた。

 

僕はこの作品を
日本のマンガ史のみならず、
思想史までを大きく変えるような
エポックな作品だと信じて疑わなかった。

 

あらすじは、ウィキペディアでは

『下町の懐かしい風景の中に潜む格差、
貧困、家族の絆や友情の崩壊といった悲劇を
漫画史上に残る過激な表現を織り交ぜて執拗に描き、
人間を狂気に至らしめる「不幸のどん底」を
滑稽さの混じった入念な表現で
余すことなく徹底的に描き切った作品である。
SF色が強い前作『夢の島で逢いましょう』とは
一転して本作では非現実的な要素は極力排除されており、
現実でも起こりうる不幸の極限を描いている。
現在に至るまで本作はトラウマ漫画の王道として
カルト的な人気があり、読者の心をえぐり続けている。
タイトルは西岸良平の漫画『三丁目の夕日』の
パロディであり「三丁目」と間違えて
「四丁目」を読んでしまった被害者も存在する。
2015年にはKindleから無修正で電子書籍化された。』

と紹介されている。


ある意味ヴォルテールの「カンディード」に
通ずる部分もあるではないか。

 

僕はこの作品が「ガロ」という、
マイナーな雑誌に掲載されていたため、
いまいち認知度が低いのだろうと、
大学の同級生や
職場の同僚、先輩などにこの作品を薦め、
啓蒙活動に余念がなかったのだが、
感想はおおむね不評で、
もしかしたら自分は、
世間の感覚とどこかズレているのかな?
と薄々思うようになっていった。

 

それが不幸の始まりですよ、
というか、不幸だとは思わなかったが、
自分は孤立してるのかな、と、
徐々に思うようになっていったのである。

 

ああ、あの頃は孤独だったなあ。
今でも孤独ですが、
まあ、人間というのは本来孤独なものなんです。

 

合志マンガミュージアムは、
1970年代、1980年代と、
年代ごとにマンガが区分され、収蔵されているのだが、
元々マンガというのは、
その年代を表現するために書かれているものではないので、
そのような分類には意味があるのか、と僕は以前から疑問だった。

 

最近ある利用者の方から
こんなクレームというか御意見をいただいた。

 

大島弓子のマンガが、
あちこちの棚にバラバラに置かれているので、
ひとつの棚にまとめてくれませんか、
あと24年組の作者の本も。

 

これはごもっともな意見である。
大島弓子は1968年に
「ポーラの涙」でデビューし、
1978年には「綿の国星」を発表。
80年代には白泉社から角川に発表の場を変え、
「秋日子かく語りき」など、独特の作風を更に進化させ、
90年代以降は寡作になったが、
飼っているネコとの生活を描いたエッセイマンガを書き、
現在も10匹以上の猫とともにお元気で暮らしている。
ちなみに今70歳。

 

僕もマンガミュージアムに
「グーグーだって猫である」(2000~2011)や
「雑草物語」(1999)を寄贈したが、
大島弓子の作品が
バラバラの棚に点在しているのは心外である。

 

僕が利用者だったら
「ここのミュージアムの人は、
本当にマンガがわかってるのかな?」
と不信感を持ってしまうと思う。

 

気をつけて改善しよう。