電車の中で、あなたの隣に座った人が、左手の指と右足首に包帯を巻いていたとしましょう。


あなたはその人のことをどう思うでしょうか?


「なんてケガをしやすい人なんだろう」

と思うのではないですか?


「ケガをしやすい職業なのかな」

とは、あまり思わないと思います。


人が他人の言動を評価するときは、

外的な要因よりも内的な要因の方に原因を求めがちです。


その人を取り巻く環境による影響よりも、


その人個人が持つ属人的な性質の方に強く原因を求めてしまうのです。


この錯誤を、心理学で基本的帰属錯誤と呼んだりします。


他人の言動を誤って認識してしまうことがあるのはこれが原因です。


第二次世界大戦を起こしたドイツのヒットラー。


あの戦争について、多くの人は、

ヒットラーの個人的な性質が引き起こしたものだと思っています。


当時のドイツを取り巻く社会情勢にまでは、なかなか目を向けません。


これでは歴史を片寄った史観で見てしまいますよね。


歴史に限らないです。


あなたの家庭や職場でも、

他人の言動が気に障ることが多々あると思います。


そんなとき、相手の言動の理由を、

個人の資質のせいに決め付けたりしていませんか?


もしかしたら、本人の資質の他に

何か致命的な原因が環境に存在するのかもしれません。


認識に誤りがあると、

その致命的な原因を見逃してしまうことになります。


原因を求める意識に錯誤が生じてないか、

時々思い直してみましょう。
















今までの人生を振り返ってみたとき、

「なぜ、あのときああいう決断をしたんだろう」

「なぜああ判断したんだろう」


と、思うことはないですか?


進路を決めたとき、

就職先を決めたとき、

結婚したとき、

引越先を決めたとき。


「決断を下す」という行為は

人生の節目でだけ行うものではないです。

日々の生活の中で、例えば買い物をするときも

「これ買おう」と小さな決断をしています。


人間は日々、小さな決断を下しながら

生きているのです。


そして、おそらく99%以上の人は

「あの時あんな決断をしなければよかった」

という思いを腹の底に抱えていると思います。


人の判断に過ちはつきもの。

100%正しい完璧な決断を下すことは難しいです。


では、なぜ難しいのでしょう?


人がものごとを判断するときは、

どうしても「事実そのもの」ではなく、

色眼鏡をかけた歪んだ事実を

捉えてしまうからです。


事実の捉え方が誤っていれば、

導く決断も間違えて当然です。


例えば


あなたがサラリーマンだとします。


あなたが管理する係の仕事で、

何か大きなミスが発生したとします。


その仕事に携わっていたのは

あなたの部下のA君です。


このA君、日頃から小さなミスを

犯しやすいタイプだったとします。


すると上司であるあなたは、

「あんなミスが起きてしまったのは

Aにまかせてしまったからだ。」

と、真っ先に思うのではありませんか?


そのミスが、

A君個人のせいではなく

係内の意思伝達が不十分だったせいで

起きたものだとしてもです。


今後の対処としてあなたが下すべき正しい判断は

A君を叱責することではなく、

職場の風通しをよくし、意思伝達をスムーズにすることです。


何かコトが起きたとき、

人間は、状況を客観的に見ることなく、

どうしても属人的な部分に求めてしまいがちなのです。


他人の行動の理由を考えるときは、

その人個人の性質だけを過大視しないよう注意すべきです。


と、これは一例ですが、

このような思考の歪み、ものの見方の歪みに

私達は常に囚われています。


この囚われから解き放たれ、

ものごとを客観的に捉え、

正しい決断を下す技術が

「クリティカルシンキング」です。


これから私といっしょに、

頭の中のフレームを外して

新たな思考方法に目覚める方法を

探っていきましょう。