「諸侯たのむに足らず、公卿たのむに足らず、草莽志士糾合義挙のほかには

とても策これ無き事と、私ども同志うち申し合いおり候事に御座候。

 

失敬ながら、尊藩(土佐藩)も弊藩(長州藩)も滅亡しても大義なれば苦しからず」

久坂玄瑞

 

 

 

 

 

 

進撃の巨人で、エレンが「戦え、戦うんだよ」と叫び

日本で大ヒット作品になった。

 

 

今、放送中の鬼滅の刃では、炭治郎が「戦え」と叫ぶ。

なぜ妙に、心に響くのだろうか。

 

 

 

「戦え」と言われると、そういえば戦後一貫して

われわれ日本人は、戦ってこなかったのではないかと疑念が湧く。

 

 

 

江戸末期、欧米の植民地支配に危機感を覚え、

国学、水戸学の流れを受けて、尊王攘夷運動が盛んになった。

 

 

幕末、無理やり開国させられて、尊王攘夷ということで

外国人をよく襲撃していた。

 

 

 

 

 

 

 

現代では、ちょっと考えられない狂気の沙汰と言われるだろうが

時代の変わり目には、このような狂気が必要になるのかもしれない。

 

 

 

 

 

幕末には、非常に多くの魅力的な人物が登場し

その中でも、一番、好きな人物はこの人。

 

 

池田屋事件で討ち死にしてしまった。

わざわざ多数に向かっていく狂気が、たまらない。

 

 

 

 

 

 

 

薩摩藩は、生麦事件から薩英戦争をしている。

こうした幕末の激動の時代を、知らない人の方がもう多いのかもしれない。

 

 

この時期の日本人と、清朝末期の支那人とを比べると

大英帝国でさえアヘン戦争とは異なり、日本人に一目置いている。

 

 

大名行列、それも薩摩藩一行の群れに突っ込んでいくのだから

正気の沙汰とは思えない、わざわざ斬られに突っ込んだようなものだ。

 

 

しかし清朝末期の支那人への態度とは異なり

突っこんでいった方が悪いという意見もちゃんとあった。

 

 

 

大英帝国は不思議な国で、7つの海を支配と息巻いていたが

戦争、特に陸戦では弱く、古代ローマと自分たちを比していたが、到底、及ばない。

 

 

だからほぼ幕末は内戦状態なのに、日本に対し植民地戦争を正面切っては行わず

もっぱら外交戦であり、薩英戦争を除くと、むしろ明治維新に手を貸していた。

 

 

もちろん大英帝国にとって、日本は極東に位置し

地政学的にも、資源という面でもさして重要でなかったことも理由である。

 

 

 

また幕末、よく知られているのは、新撰組の方かもしれない。

当時の京都は、有象無象が跋扈、テロも多かった。

 

 

荒れていた治安を回復するための組織が新撰組であり、

欧米の植民地略奪運動から、日本を守ろうとするものではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新撰組の有名人は、近藤勇、土方歳三、沖田総司、斎藤一などだろうが

一番好きなのは、永倉新八

 

 

 

【中古】一外交官の見た明治維新 (講談社学術文庫 2666)のサムネイル

 

 

貴重な同時代人、しかも外国人による一次資料

日本史が相当好きでないと、読みにくいかもしれない。

 

 

 

幕末の小説はたくさん出ていて、一番、読まれたのは司馬遼太郎作品

確かに面白く、この時代の狂気を感じ取ることはできる。

 

 

 

司馬遼太郎の作品を読んで、司馬史観に染まるのもかまわないが

あれは所詮、小説であり、全てが史実ではない。

 

 

 

坂本龍馬もあまりにも過大評価であり

単なる武器商人と見なす人も多い。

 

 

グラバーとの関わりから、外国の手先、

つまり売国奴だったという見方もある。

 

 

 

土佐藩出身者で好きな人物は、吉村寅太郎

「吉野山 風に乱るる もみじ葉は 我が打つ太刀の 血煙と見よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この時代を狂気に満ちあふれ、魅力に富んだものとしているのは

先駆けとなった、桜田門外の変だろう。

 

 

尊王攘夷の最も急進的な水戸藩士たち

成功してもしなくても死ぬと分かっているのに、敢えて決行する。

 

 

それもまだ時流が熟していない時期であり、

幕府が強大とみなが思っていた頃に行う狂気

 

 

ある種、狂気にしか見えない行動こそが、幕末を魅力的な時代にし

そして現在のわれわれ日本人が、なんとなく後ろめたさを感じる所以かもしれない。

 

 

 

日本史を振り返れば、われわれはずっと戦ってきた。

しかし大東亜戦争敗北後、一切やめてしまった。

 

 

確かにGHQの戦争犯罪擦り付け計画(ウォー・ギルト・インフォメーション・

プログラム)が、大きな影響を与えたことも大きな原因である。

 

 

本土空襲で全国各地、東京大空襲のようなこともあったし

原爆も2発落とされて、大きな恐怖を植え付けられたことも事実のようである。

 

 

戦後GHQ支配下、共産党と朝鮮人が暴れまわり、

大きな恐怖を与えたことも事実である。

 

 

 

 

しかし日本人の物語があるとするならば、

そこに流れるのは、楠木正成的なものである。

 

 

 

 

湊川の戦いでの自害の直前、正成は弟の正季に、

次はどのように生まれ変わりたいか、と尋ねた[224]

 

 

正季はからからと打ち笑って、「七生まで只同じ人間に生れて、

朝敵を滅さばやとこそ存じ候へ」

 

 

(「(極楽などに行くよりも)7度人間に生まれ変わって

朝敵を滅ぼしたい」)と述べた[224]

 

 

正成は嬉しそうな表情をして、「罪業深き悪念なれども我もかやうに思ふなり」(「なんとも罪業の深い邪悪な思いだが、私もそう思う」)と同意し、

 

 

 

「いざゝらば同じく生を替へて、此本懐を達せん」(「さらばだ。

私も同じく生まれ変わり、滅賊の本懐を達そう」)と兄弟で差し違えた

 

 

 

 

 

 

楠木正成のこの最後は、多くの日本人の心を打つだろう。

われわれが、真に物語を失ったと言うなら、楠木正成を失ったのかもしれない。