社会集団が集団の力でもって世の中を正すことが

できないと思うようになったらそうなるね。

 

 

選挙で投票に行ったって、政党が議会で正してくれるか? 

野党なんて今や存在しないも同然じゃないか。

 

 

国会で政府に対して国民の利益を代表してやり合う政党があれば、

国民は託すんだよ。だけど、そうでなくなったらテロが出てくる。予言するよ」

亀井静香

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亀井静香さんは、さすがだなぁと思った。

そして川端さんに触発されて、考え込んでしまった。

 

 

「テロリズム」この言葉に何かしら、心に響くものがある。

上記のアニメ「残響のテロル」に共感した人も多いだろう。

 

 

「残響のテロル」は、大きな物語がある。

そして、その物語の中の人物に共感を覚える。

 

 

赤穂浪士を知っていれば、彼らに想いをよせるだろうし、

5.15事件もそうで、助命嘆願を願うだろう。

 

 

右翼であれ、左翼であれ、ほとばしる思い、一途な思いこみ、

それが飛躍していても、その心情に思いを馳せる。

 

 

安倍元首相を銃撃した山上に、なぜかあまり関心を持てなかったが、

安倍元首相がやってきたことに対する社会からの反動と断じていたからだと思う。

 

 

小泉政権から考えると安倍さんは、何十万もしくは何百万の

日本人を殺して来たし、何千万人も貧困に追いやってきた厳然たる事実のためだ。

 

 

 

誤った経済政策はたくさんの人を殺し、貧困へ追いやる。

簡単に言えば、ずっと酷い虐待をされてきたのである。

 

 

 

虐待は、生涯付きまとって離れない。

そしてそれは、ずっと火種となって燻り続ける。

 

 

これは虐待されてきた者にしか分からない。

この恩讐は忘れ去っていたと思い込んでいても、即座に浮かび上がる。

 

 

しかし人間はそう簡単に自分で死ぬことも、人を殺すこともできない。

また虐待された者は、虐待した親を殺す契機も持たない。

 

 

そして虐待されて育ったこと自体、社会から疎外される大きな要素にもなる。

排除というディスクールの構造に取り込まれてしまっているのである。

 

 

 

そこからなんらかの生の意味を生み出すだめには、

ひょっとすると、まさに命がけの飛躍をしなければならないのかもしれない。

 

 

であるとすると、別に大きな物語なんていらない。

お前だけが苦しいわけじゃない、とか

 

 

他にも苦しい人たちはたくさんいるから、黙って耐えろ

こういった言説は、命がけの飛躍を加速するだけである。

 

 

 

マルクス主義者っぽく言うと、主と奴の弁証法を闘争で乗り越えていくことになる。

自分を殺しに来ているのだから、命のやり取りは当たり前になってしまう。

 

 

 

様々な理由をつけて、人間を排除していくこと、の危険性

例えば、匂い・音・見た目など五感のいずれかが反応して、排除すること

 

 

特に、経済政策の犠牲になってひどい目に合う人々を排除すること

この排除のディスクールは、かなり大きなしっぺ返しがくる可能性が高い。

 

 

人間の心に根源を持つ以上、テロという形を取る方が必然だと言える。

おそらく現代のテロリズムは、そういうような形で表出する。

 

 

文春文庫<br> テロルの決算 (新装版)