「父母は、たわむれにも子を欺くな」

韓非『韓非子』

 

 

 

 

 

 

この人の動画は、よく目にする。

どれも素晴らしい内容で、大好き。

 

 

 

考察するために、

まずは、予備知識から入ってみよう。

 

 

 

1 自我は生まれつき備わってはいない

 

 

動物にとっての世界は、「自然環境」世界だが、

人間が持つ世界は、様々なルールの

網の目からなる「関係の世界」である。

 

 

この世界では、本能では対応できず、自我を持っている。

 

 

 

 

2 「自我」の本質は自分では意識できない

 

 

「自我」は、生育の途上の人間関係の中で

徐々に形成される。

 

「自我」とは、人が世界の複雑なルール関係に

適応していくための仕組みだが、

 

 

その仕組みは、「自我」自身が、

また1つのルールの束として成り立っている。

 

 

本能とは、「身体」もともと備わっている「行動基準」だが、

「自我」は親子関係におけるルール形成を通じて

少しづつ身に着けていく。

 

 

 

何が危険か教えてくれるのは、動物の「本能」だが

人間は、それをすべて、親の様々な「禁止」として身につけていく。

 

危険な食べ物の禁止、排泄についての訓練、食事、衣服、清潔についての

さまざまな規範、これらはみな人間世界独自のルールである。

 

これらを覚え込み、そして”忘れること”つまり「身体化」し、

これによりはじめて人間は「文化的」な存在となる。

 

 

 

哲学的な整理

 

 

人間はさまざまなルールを与えられ、それを「身体化」

つまり「自我」として内面化することで1人の人間となる。

 

 

「自我」とは、そういうルールの束として集約されたものだが、

「自我」はそのことを意識しておらず、

 

 

ただ自分の感受性や美意識としてもっている。

そういう意味で、「自我」自身がルールの束だが、

 

内実は、「真・善・美」のルール、つまり

 

「何が良くて何が悪いのか」

「何がきれいなもの(美)で、何が汚い(醜)か」

「なにがほんとうで、なにがほんとうでないか」

 

というルール、これは、普通、その人の倫理観、美意識、

感受性という形で保たれている人間的な「価値のルール」

 

 

だから、人間には、いろいろと、複雑かつ面倒な問題が起きてしまう。

 

前置き終了。

 

 

 

 

人と折り合いがつけられないのは、なぜか。

 

 

「自我」は暗黙のうちに形成された「価値のルール」

これがうまく形成されていれば、他者関係はまずうまくいく。

 

 

元々、自我の「価値のルール」とは、周りの世界に

うまく適応するための「本能」の代替品であり、

 

複雑な人間世界のルールの網の目に、

うまく適応できるように形成されるもの。

 

 

だから思春期以降、どうも他人とうまく関係がとれないときには、

「自我」のルール形成が何らかの理由でうまくいかなかった可能性がある。

 

(決め込むのは禁物:例)

 

(017)母という病 (ポプラ新書)

 

 

 

 

 

 

親子関係における「価値のルール」の形成過程で生じる、

重要な問題の整理

 

 

 

一 父親と母親のルールが一致しないで、分裂している場合

 

 

両親の関係が円滑でない場合、たいてい、それぞれが無意識のうちに

子どもを引っ張ってしまう。

 

 

子どもは「自己のルール」を形成する過程で、

親のルールを受け入れていくものだから、「引き裂かれ」を経験する。

 

 

さらにこの「引き裂かれ」の苦しいい引きを回避するため、

過剰に自己防衛的・攻撃的になるという二次的なねじれが起こる。

 

 

 

 

二 親が与えるルールと社会のルールが分裂している場合

 

親の与える「よし悪し」と世間の「よし悪し」のルールに食い違いがある。

そのために友達同士の仲間関係にうまく入っていけない。

 

また子どもも「自己ルール」を

二重化させる傾向がある。

 

 

 

 

三 親のルールが、愛情によってではなく自分たちの都合で与えられている場合

 

こどもは、親のルールに対して自然な信頼が持てない。

不信感を強くもったり、不安感を強くもったりする。

 

 

しかしそのことは全体として強い罪障感を形成する。

こういうような場合、「自己ルール」が

自分にとって納得のいくものにならない。

 

(強い抑圧感、不当観と強い罪障感の組み合わせは、

ひばしば強迫神経症の原因となる)。

 

 

 

 

 

「自我」はいつかどこかで修正される運命

 

 

上記のいずれの場合でも、「自己ルール」の分裂、、ねじれ、

罪障感、不完全な形成、このようなことが生じやすくなる。

 

また、自己ルールの分裂やねじれは、「自我」についての

不安や不信をもたらすため、

 

それを打ち消そうと過剰な防衛・攻撃性がでてくる。

これがまた自然な人間関係にとり、マイナス要因となる。

 

 

 

つまり自分の「よい・悪い」と「きれい・汚い」のルールと

一般的なそれが一致している人は、たいてい人とうまく折れあえる。

でも、だいたい2割程度。

 

 

その他の多くの人々は、、特に青年期に「自分」(自我)についての

問題を感じ、いろいろ悩む。

 

 

その場合、まず考えてよいのが、このような親との関係に由来する

「自己ルール」のズレや分裂という可能性。

 

 

っ青年期以後の人間にとって重要なアイテムは、

他人とよい関係が作れること、

 

困ったときによく話しあって関係を修復できる能力、

つまりそれが「自我」が安定しているということ。

 

 

 

 

3つの安定した健全な「自我」の標識

 

 

① 自分の「良い・美しい・ほんとう」のルールを

  自立的にしっかり作り上げていること。

 

 

 

② 自分の「価値ルール」(自己ルール)を固定的に考えず、

  他者関係の中でそれを調整してゆくことができること。

 

  そのために自己ルールをきちんと表現でき、

  また他人のルールをよく受け取り理解できる能力があること。

 

 

 

③ 「自己ルール」を社会的な能力として生かしていくことができること。

 

 

 

 

親子関係における「自己ルール」の形成は特に①に関わり、

①がうまくいかないと、②や③に大きな影響を与える。

 

 

他者関係がうまくいかないという感覚があるときは、

まず自己ルールのありよう、

 

 

つまり、親子関係での価値ルールの形成の過程における、

その分裂やねじれの可能性を考えてみる必要がある。

 

 

 

愚か者の哲学

 

 

(愚か者の哲学 竹田青詞 主婦の友社P32~38)

(ほぼほぼ丸パクリで、竹田先生ごめんなさい、

だって要約できないんだもの・・・)

 

 

 

 

次回は、これらの教えを踏まえ、

日本のマクロ経済政策と合わせて考察していく。