まだ8を見終えたところだが、

これまでの展開について、少々考えていた。



シーズン2となる今回は、前作よりもたしかにずっと面白く、

なかなか娯楽としてはいい。



登場人物も増え、それぞれのキャラクターの魅力も

存分に引き出されている。



でも、見ていて何か違和感を持ってしまった。

しかしそれが、なんなのかよく分からず、

引っかかっていたので、それを考えていた。



プラグマティズムの国らしく、

科学的、論理的、具体的、

だから、もっともらしいセリフに納得させられる。



しかし、それが違和感を覚えさせる要因となった。



例えば、ラスベガスに遺体が発見され、

そこに、主人公と相棒が赴くストーリーがあった。



そこで、主人公のボーンズが、カジノで、

数学的な思考によって、勝ちを収めていた。



彼女は、骨の専門家であり、高度な数学的思考の

持ち主と設定することには無理がある。



なぜなら、実際に数学者の学界がラスベガスであり、

カジノの経営者側もびくびくしていたという話が、

藤原正彦先生の著書に出てくる。



超一流の数学者でも、何も起こらなかったという話だったのだが、

そのお話と、数学者でもないボーンズが数学的思考を駆使して、

カジノで勝つことができるというストーリーとでは、

事実とドラマがかみ合わない。



ここ数年、科学は長足の進歩をしてきた。

そしてそのスピードは、どんどん早くなっている。



しかし、進歩すればするほど、細分化してしまう。

そして、似たような分野の研究者でも、分からないことが

どんどん増えていると読んだ覚えがある。



細分化されればされるほど、収拾がつかなくなるのに、

その細分化がさらに細かく分かれていく。



それが現状であるのに、科学万能主義のような

雰囲気を醸し出しているのが妙な感じがする。



確かに、細分化されているために、チームとして

機能させているのだが、ちょっとそれぞれが

守備範囲が多い気がする。



ただ、現代アメリカに必要な絆を届けるという点では、

見事な出来だと感心している。