スポーツ記事だが、こんなのがでたらしい。

http://www.sponichi.co.jp/society/news/2007/06/23/01.html



2ちゃん上では、かなり噂になっているが、

本当に出馬するのなら驚きだ。


まったく興味のない人物だったが、

戸塚ヨットスクールの戸塚さんとTvで

彼がやりあっているところを見て、

う~ん、なんというか、こう、現場の人じゃないな、

という感想を持ってしまいネットで調べたことがある。


それで下の義家弘介研究会なるものを見つけてしまった。

Tvメディアが取り上げるものは、どうもうさんくさいから、

思わず調べてしまったが、実に酷いことが書いてある。


そのページは、こちら↓

http://www20.atwiki.jp/mekemekedash/



よく分からないけれど、現場の人ではないことは確かである。

それは確信を持って言える。


それに彼には、生の苦しみ、懊悩からくる知性がないことも

Tvだけで判断して悪いが、断定できる。

(ネットの動画で見ただけで判断した。(;´Д`)ノ)


だから、子どもが苦しんでいるときに、

追いかけるように自分をシンクロさせることはおそらくできないと思うし、

もしかすると、やろうする気すら持たなかったのではないか

とすら感じさせられてしまう。




現場の人ではないのだから、

案外、議員さんはよくお似合いかもしれない。


なぜなら、恥を知っているものにとって、

議員というのは、耐え難い商売であるように思えるからである。



でも、好ましからぬ風聞をたくさん持っておられるようなので、

雑誌メディアは手ぐすね引いて待っているかもしれない。


それを分かった上で、大丈夫であると判断したから、

立候補をするということになったのかもしれないし、

自民党が先だって、電通に手を打ち、

この人が不評被害に遭わないようにしているのかもしれない。



政治の世界は、なんせ魑魅魍魎揃いで、

推測なんてしても、どうせ外れるのは決まっているが、

教育改革を語る人には、興味が湧いてしまう。


それでくだらぬことを邪推して、ほんとバカみたい。


でも、民主主義というものは改めてこういうものなのか、

そしてその中で私たちは生を営んでいるのか、

としみじみと考えさせられる。


一体、民主主義という化け物はなんなのだろうか。


アテネでは、ペリクレスが民主主義の皮をまとって、

それが機能させなかったときに繁栄していたはず。


確かに多数が賛成の方が正当性があり、

人は生まれながらにして平等に基本的人権をもつのだから、

ぐうの音のでないほど、正当性があって、

マイノリティを自認している自分は何もいえないかもしれない。


しかし、マイノリティだって言いたいことは多い。


民主主義と資本主義は、圧倒的に私たちの国では、

成果を納めつつある。


でも、この暴走になんとか歯止めがかからないものか、

と憂鬱な人々は、ケッコウな数に上るだろう。


民主主義のシステムは、致命的な欠陥があり、

それを急速に露呈しつつある。

しかし、万人を説得する正当性を同時に持ってしまう。


正当性をもつというアポリアをまずは、

打ち砕く大きな物語の到来を創造しないと

近代社会はさらなる成熟をみることができないのかもしれない。


とにもかくにも、難しい世の中である。

人の真贋を見極めるのも大変難しい。(゙ `-´)/