フランスは「階層社会」であるらしい。

それを「移民問題」が拍車をかける。

そして、階層と階層の間には乗り越えることのできない

「壁」があり、その「壁」は社会的地位や資産や権力や

情報や学歴など、多様な要素によって構成されているが、

ある階層に属する人間と別の階層に属する人間を

決定的に隔てているのは「文化資本」の格差である。


「文化資本」とは


1) 家庭において獲得された趣味や教養やマナーの

   ような気がついたら身についてしまっていたもので

   「身体化された文化資本」と呼ばれるもの。


2) 学校などの学ぶ場において学習して獲得された

   知識、技能、感性など後天的に獲得するもので

   学歴、資格、人脈、信用などである。

   「制度化された文化資本」と呼ばれるもの。


両者の違いに、ブルデューはこんな喩えを用いる。

「血統による文化貴族」は自分の見た映画に出てきた

俳優の役名を記憶し、「学校による文化貴族」は自分が

見たことがない映画の監督の名前を記憶する。

つまり、前者は経験を、後者は経験より知識を優先させる。


2)が1)になろうとしても無駄である。

外国にも家がいくつかあるので、知らないうちに何ヶ国語も

話せたとか、親が高名なピアニストだから勝手に絶対音感が

身についていたとかいったたぐいのものだからである。


1)に対し、2)は自分がどこかでいてはならないような場所に

踏み込んだような異郷感を覚えてしまう。知識を語る人間は

経験を語る人間に対し、ある種の「気後れ」を覚えることは

事実である。


後天的に獲得しようとすれば、ドアが閉じる。

ひどい話だ、努力したら負けなんだもの。


文化資本主義社会は、


努力しないで、はじめから買っている人が『総取り』する

ルールのもとに動いている。


でも、確かに日本はそうなりつつあるんだよなあ・・・・・


疲れたので、いったんおいて、To be continued.。

次は、もっと俗っぽくいこう。