いまどきの「常識」 (香山リカ・岩波新書)の一考察


香山リカの著書は何冊か読んでいるが、

今回のはいまいちかもしれない。


まあ、かいつまんでいえば

最近ナショナリズムの勃興がみられ

それを危険視している。

それの基準を最近の若者たちにおいており

自分の経験則に照らしている部分が冒頭にみられる。


確かに若者たちの中には、自分の半径が狭いものが

見られることは否めない事実である。

「しかし」といいたい。


自分が接している範囲では、

かれらはただ知らない、もしくは経験不足、

また、溢れかえる情報の中で溺れている

といった状態であるかのように思う。


自分の限られた経験則の中で語ることが許されるならば、

現代の若者はわれわれのころより優秀であり

心根は優しく、彼らの身近なひとにとっては思いやりに

満ちていると言っていいと思う。


一握りの若者を通して全体像を語るのはきわめて危険であり、

古来若者というのは、足りないものである。


共和制ローマ末期の若きブルータスを壮年期の男たちはどう評したか。

キケロは、

『文章の構成は、緻密で論理的だ。しかし、情熱に欠けている。

他者に伝え分かってもらいたいという意欲が充分ではない。』


敬愛するカエサルは、ブルータスの演説を聴いた後、こう述べる。


『あの青年は求めているものが何であるはわからなかったが、

何であれ強烈に求めているということだけはわかった』ショック!ガーン(キツイ)


つまり、古来若者は他者に伝えることが不得手であり、

しかし、常に何かを求めている存在なのだということを

この著者の視点からは感じられないし、それがない故に

慈愛に満ちた流れを欠くのである。


思えば、「ぷちナショナリズム症候群」でもそうであった。