リチャード・パワーズの「黄金虫変奏曲」 | クリムゾンの箱

 

リチャード・パワーズの「黄金虫変奏曲」。
あんまりよくわからんかったな。
遺伝暗号の解読を巡る三人の男女の物語が、バッハのゴルトベルク変奏曲の構造に沿って展開される。

遺伝子には4つの塩基成分があり、その4つの限られた基底集合が無限の多様性を生み出す。
生命のほぼ無限の複雑さと無限の変動性は、遺伝暗号を構成する比較的単純な分子と規則のセットから生成されるけども、ノイズも大量に発生する。解読が難しい。

そもそも、遺伝子情報は楽譜と同じで、「音符を印刷されたページから鍵盤に転写するだけではいけない。何か言い表せない理想的なものが閉じ込められている。文字通りの指では表現できない。」ものだ。
楽譜は、単に音符の集合としてではなく、音楽のコードとして理解し、解釈し、表現するもので。創造性や感性や思想が込められており、それを音楽として聴く者や演奏する者に伝える、理想的な形や本質に近づこうとする試みだ。

 遺伝子暗号の解読も、単にDNAの塩基配列を読み取るだけではなく、生命のコードとして理解し、解釈し、表現しようとする試みで、遺伝子暗号には、自然の創造性や多様性や秩序が込められており、それを科学として研究する者や応用する者に伝えることができるものであり、遺伝子暗号は生命の理想的な形や本質に近づこうとする試みだ。

全く同一の遺伝情報も持ち主であっても、毎回まったく同じ姿形になることはないわけだ。

この世界はメッセージで溢れ返っている。生きとし生けるものはすべて唯一無二の信号である。
しかし、メッセージは隠されて、ノイズへと拡散されていく。受け取るに値する唯一のメッセージはつねに妨害され、歪曲され、翻訳の際に失われる。デコードの難しさ。

「科学とは知じゃなく、唯名論だ。事実じゃない。果てしない仮のリストを検証する手段に過ぎない」、科学は真実を追求するものではなく、人間の主観や偶然に左右されるものである。すべてはあやふやな予測で、科学は宗教よりは多少ましな信仰に過ぎない。

「『遺伝子工学」というやつは、多様にひしめき合う異質な種の取り合わせを、ただ一つの優れた種に置き換えようとする試みでいっぱいだ」「我々人間は、ただひとつの答えを欲しがる。それ以外の答えをすべて追い出してしまう答えをね」「科学の目的は制御じゃない」

遺伝工学は人間の利己や権力や欲望によって、生命の尊厳や多様性や秩序を破壊することもできる危険な活動となっており、遺伝子暗号の解読には、有用性や実用性という観点ではなく、知的な興味や美的な感性という観点が必要ということなんだろう。

我々は、自然は間違いを犯さないものだと考えたがる。しかし、生命とは粘土の様に間違ったものを作りやすい。実際には、自然がやることすべて程度の差はあれ間違いで、自然の計算はすべて目先だけのもの、手っ取り早い『やっつけ修正』だ。遺伝子工学は、自然の不完全さを補うことができるかもしれない。

他方で、遺伝子工学は自然のバランスを崩したり、倫理的な問題を引き起こしたりする危険性がある。30年以上も前の、1991年の作品で、遺伝工学の影と陽を描く作品。隠喩が多用されていて、どうにでも読める作品。