三浦瑠麗が大喪の礼を「たいも」と読み、国葬と言いやがった。葬式じゃねーよ。 | クリムゾンの箱

三浦瑠麗が大喪の礼を「たいも」と読み、国葬と言い、安倍の国葬と同列で語りやがった。

 

なんかねー。一般人の国葬と皇族の大喪の礼を、同列で語ることに違和感を覚えない人間はおかしいわ。明らかに異質なもんじゃん。大喪の礼は仏教的な葬式じゃないんだもん。以前、神社を参拝することを墓参りに例えてた外国人がいたけども、それと同じ違和感がある。神社は墓場じゃねーもん。

 

大喪の礼を「たいも」と読んだり、(冥福を祈り、死者を葬るための)葬式だと思ってる奴って、マジでヤバイわ。国葬相当であって、厳密には国葬じゃねーよ。どんだけバカなんだ。「天皇陛下が亡くなった」と表現する無知の馬鹿と同レベル。マジで日本人か?

大喪の礼は、国葬相当ですが、厳密には国葬ではありません。葬儀ではないからです。まぁ、昭和天皇の大喪の礼は政教分離の理念によって、徹底的に神道色を排したけどな。なんにせよね。国葬とは相当別格だわ。安倍のとは同列には語れんぞ。

民主主義だからこそ、国葬は無理だろ。

 「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない」わけだから。憲法で保障された自由なのだ。