翌朝、第三の塔の前の広場に作られた仮設の台座は、国民たちが固唾を飲んで見守る公開処刑の舞台となっていた。反逆者たちは円柱に一人一人縛り付けられ、その姿はまるでそのまま墓標のようでもあったが、そこに架けられた者たちは皆、まだ生きてその死の瞬間を待たされている。
「マインラート」
エイヒムが弱い声で、隣で同じように縛られたマインラートに語り掛ける。マインラートは返事をせず、僅かに自由の残る首だけをエイヒムに向けた。
「アルノルト……、来るかな……」
マインラートは無言のまま眼前の群衆を見つめる。自分がこの立場になってみて、初めてわかることがあった。この公開処刑は、ただただラメクやノエルの力を見せつけるためだけのものではない。国民たちにとって、これは一つの娯楽になっている。
この中には確かに、マインラートらに憐憫の視線を向けている者もいるのだろう。ラメクへの抗議の意を込めて集まっている者もいるだろう。しかし、その実ここに集まった大多数の国民にとって、これはショーでしかないのだ。死神ノエルによる殺戮ショー。それが正義であるか、悪であるかは最早きっと関係ない。人は残虐な生き物だ。小さな子供が蟻を踏み潰すように。解剖実験の動物が小さく震えながらその命を散らしていくのを眺めるように。それを眺めることで、自分たちが絶対的な存在であり、安全な立場であることを知ろうとする。その慰みこそが人にとって最も重要なことなのだ。
連日繰り返されるこの公開処刑を通じて、国民たちは一つになっている。歪んだ絆が、この国の中に形成されているのだ。きっと昨日、彼らが決死の覚悟で挑み、敗れたあの革命も、映像となってしまえば、国民たちにとって一つの娯楽に過ぎなかったのだろう。
マインラートは、大きく息をついた。
「来るなってよ……、そういう気で、あいつを逃したんだろーがよ」
そう言った後でしかし、どこかでアルノルトが現れて、アルノルトだけではない、何か、奇跡が、奇跡のように仲間たちや、いやもっと大きな力を持った何かが現れて、都合よく自分たちを助けてくれるという希望がないと言えば嘘になるいうことも、マインラートは自覚していた。
--結局口ばっかだよなぁ、俺たちは……
死は、恐怖だ。何よりの恐怖だ。どんなに科学が発展しようと、医療技術の進歩により人間の平均寿命が延びようと、迫り来る死への恐怖からは誰も逃れられない。
人が一寸先も見えない闇に怯えるのは何故か。外気の急激な変化や、底のわからない高所で、本能的に危険を感じてしまうのは何故なのか。それはその先に、得体の知れない、この長い人類の歴史の中でまだ誰も生きて到達したことがないはずの、「死」という圧倒的な終わりを見ているからだ。未知への恐怖が人を進化させてきたとするならば。死は、人類にとって最後の恐怖の対象なのだろう。
マインラートが自分の横を見ると、自分たちよりずっと死に近い場所にいたはずの大人たちですら震えている。泣き叫ぶこともせず、じっと黙っている者はさすがだ、と思うが、よくよくその下腹部を見ると、濡れているのが遠目にわかる者もいる。死とは、平等な恐怖であり、それはどんな覚悟を持ってしても拭いされるものではない。大人だろうが子供だろうが、兵士だろうが、それは関係ない。
--嫌だ、死にたくない……
あのテルマが、最後にそう言った。わざわざ仲間たちに聞こえるように、泣き言を遺した。怖かったのだ。ガイも、カイザーも、きっと怖かったに違いないのだ。
「あぁ、そりゃそうだよなぁ……」
マインラートは、自分の頬に伝うものに、気づいていた。
「死にたく、死にたくねぇよぉ……」
マインラートのその声に、エイヒムは答えなかった。エイヒムも、恐怖で歯の根が合わなくなっている。いつも冗談ばかり飛ばしていた、少年たちの中でも荒事担当と言われたこの二人も、迫り来る死の恐怖からは逃れられないのだ。
そんな二人の台座の脇を抜けるように、仲間たちを殺し、そしてこれから彼らの命をも奪おうとしているあの死神ノエルと、そしてその司令塔、この国の最高権力者、ラメクが姿を現した。
「お前たちの司令官は逃げ出したようだな」
ノエルの声は、間近で聴くと思った以上に若々しくマインラートには聞こえた。冷徹なこの死神も、自分たちとそう変わらない。何だか少しだけ、気持ちが落ち着いた気がした。
「人間とは、そういうものだ。それが人間らしさだよ。美しい……醜く、それが、美しい」
ノエルは手に持った剣の切っ先で、マインラートの頬をなぞる。
「最高に人間らしい悲鳴を聞かせろ。それが国民たちへの、最大の慰みだ。……さぁ、愚かなる反逆者たちの処刑を始めよう!」
ノエルの怒声に、群衆は快哉を叫ぶ。悲鳴ではない。それは、まごうことなき、喝采だった。
--ああ、そうかよ。そうだよなぁ……
マインラートは、群衆を睨みつける。
--それが、おめぇらの答えだよな
その時、ラメクがノエルの手にその手を重ねた。この場の空気感に似つかわしくないほどに美しい微笑みを浮かべながら、ラメクはノエルに何事か耳打ちする。驚いたように目を見開いたノエルのもとに、一人の兵士が走って近づいてくる。その声は、マインラートにも、エイヒムにも、ハッキリと聞こえた。
「クーデター首謀者、アルノルト・ショルツが投降しました」
ノエルの瞳はいよいよもって見開かれ、ラメクは、その微笑みを絶やさぬままにその声に耳を傾ける。
「第三の塔見張りの兵士からです。アルノルト・ショルツが投降。こちらへ向かっています」
ジギスムントとエレナは公開処刑の舞台となる第三の塔の前の広場にいた。ラメクが予告した時間が迫っている。マインラートやエイヒム、協力者であったロビンや他の大人たちが磔られている姿も勿論衝撃的なもので、ここに来てから何度も何度も彼らに向けて叫んでいた。群衆に紛れ、その声は彼らには届かなかっただろうし、そもそも彼らも姿を見られるわけにはいかない。頭から薄い布切れをか被って顔はわからないようにしていたが、逆にその姿は目立つことこの上ない。
--クソ、アルノルト、何処だ、何処にいるんだ
ジギスムントたちが目覚めた時、アルノルトは縛っていたはずの部屋にいなかった。解かれたロープだけが部屋に残り、車も一台なくなっていた。何処に行ったかなど考えるまでもない。どうして部屋に鍵を掛けなかったのか。見張りをしていたイェンチは何をしていたのか。怒りをどこに向けるべきかもわからない。焦りだけが増していた。
「エレナ、いたか!あいついたか!」
同じように群衆に紛れながらアルノルトを探させていたエレナに問い掛ける。エレナは朝からずっと変わらない青ざめた顔で首を横に振る。そもそも、この人混みの中で、アルノルトを見つけることなんて出来るのか。
--逃げてるかも知れないぞ
クラウスはそう言っていた。ジギスムントは、思わずクラウスを殴りつけ、馬乗りになって首を絞めながらそれを否定した。
--あいつが、一人で逃げ出すはずなんてない
考えなくてもそんなことはわかってる。アルノルトは必ずここに来る。そのために、一人で抜け出したのだ。
「畜生、何処だよアルノルト!どこいるんだよぉ!」
辺りの群衆が騒ぎ出す。死神ノエルが、仲間たちの処刑を宣言する。
「あ……、クソ、マインラート、エイヒム……」
エレナも、その群衆の喝采に立ち尽くす。ここにいる人間たちは、楽しんでいる。ジギスムントやエレナの、大切な家族の、これから行われる凄惨な虐殺を、歓喜をもって迎えている。
「畜生、騒ぐな騒ぐなクソ野郎!」
--これが、俺たちの取り戻そうとした国の姿なのかよ。みんなが命がけで闘った結果なのかよ
アルノルトも見つからない。この公開処刑も止められない。また、何もできない。
「嫌だああああああああ!!やめてくれよおおおお!!!」
そして、喝采を引き裂くように、総統ラメクの声が響き渡った。
「親愛なる国民諸君」
ラメクはアルノルト投降の報せを受け、用意していた台詞を高らかに叫ぶ。
--やはり、現れてくれたか、革命の仔よ
「この度の革命にて命を落とした哀れなる魂たちへ、今遅すぎた救いの報が届いた。クーデターを首謀せし者、この愚かで恐ろしい反乱のリーダーが今第三の塔へと投降して来たのだ。これで我等はもう、罪なき命を奪うことをしないで済む。すべての罪は首謀者が禊ぐ。これで我等の国は永劫の平和を取り戻し、安寧のもとに真なる繁栄を遂げるだろう。すべては諸君等の平和を祈る願いの強さの結果だ。命を落とした兵士たちもこれで報われる。反乱軍の首謀者、その名はアルノルト・ショルツ。今こそ団結せよ!魔の遣いにして、愚かなる反逆者に……死の、鉄槌を!」
高らかなる平和への宣言に、国民たちは先ほどよりも更に大きな声で快哉を叫ぶ。そうして、喝采を浴びながら、英雄になり損ねた反逆者が、兵士に連れられてやって来る。
終わりが、始まる。この物語の終わりが、今、ここから始まる。
to be continued...