連載小説:片翼の羽根【第一部第2章】⑤ | Shionの日々詩音

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ノエルの想定に違わず、緊急で集められたその会議の場は荒れた。普段ノエルの顔色を伺い、自ら発言することがない者まで、ノエルの失態について追求の手を緩めることがない。

政治の場において、政敵に弱みを見せることは厳禁だ。その者に政権内での力があればあるほど、僅かな綻びを他の者は徹底して突いてくる。今のノエルは、まさに針の筵だった。

 

「まったく、反乱分子を見つけるどころの話ではないですな、ノエル軍事総司令」

 

会議場の空気を完全に自分の手中に収めながら、ヴィルヘルムは薄笑いを隠しもせずにノエルにそう言い放った。元々ノエルと対立関係にあったヴィルヘルムがこの好機を逃すはずもない。銀縁眼鏡の痩せた男は、今やこの会議場にいる高官たちの半数以上を味方につけていた。

 

「確かに軍部にこそ大きな責任はあろうが、防犯システムを作り上げたのはお前たち宣伝省の人間のはずだ。それをまるで棚上げにされても困るな、ヴィルヘルムよ」

 

苦し紛れに責任転嫁してはみるものの、それがより自分を追い詰めることになるのも理解していた。ノエルは口に出してから自分の愚かさを呪う。

 

-この場に関しては、何を言ったところで墓穴を掘るだけか。

 

ヴィルヘルムは鼻白んだように薄く笑った。

 

「前回の会議でのお言葉をそっくりそのままお返しいたしたいですな、ノエル軍事総司令。我々宣伝省も必ずしも人員が充分とは言えなくてね。反乱分子も見つけねばならんし、今度は奪われた武器も見つけなければならない」

 

ヴィルヘルムは言いながらわざとらしく哄笑し、周囲の者もそれに合わせた。ひどく不愉快で耳障りな笑い声に、ノエルは思わず長テーブルを蹴り上げそうになる。

 

「君は軍部も人手不足とは言うが、国家予算の大半は君らの訓練費と兵器に消えているのだよ。そう、消えてしまった、いや奪われてしまった、兵器にね。まったくもって、予算をドブに捨てたようなものではないかね」

 

奪われてしまった、とわざとらしく手振りを交えながら言うヴィルヘルムを中心とした笑い声は、尚もその音量を上げて室内に響き渡る。何も言わなければ良いものを、ノエルはそれを遮るように口を開いてしまう。

 

「国を守るために、軍事費を割くのは当然だ。今の我が国は決して安定しているとは言えないのだ」

 

冷静さを装うが、ノエルの声はやや上擦り、他者を威圧するいつもの調子がまったく抜け落ちてしまっていた。ヴィルヘルムの眼鏡の奥の目が鈍く光る。ノエルの言葉など、まったく聞き入れる気はないようだった。

 

「この時代にもはや他国への警戒など無意味だろう。そして国内の処刑に至っては、多量の金を注ぎ込んだ武器はほとんど使っていないようだがねぇ、ノエル軍事総司令は。まるで中世の騎士の如く、剣で首を切っておられる。ふふふ、映画スターにでもなりたかったのですかな?それなら、今からでも遅くはないのではないか、ノエルぅ」

 

皮肉たっぷりのヴィルヘルムの言葉にも、ノエルには今や何も反論の手立てはなかった。失態を犯したことは事実だ。そして、この政権内において、ノエルには味方がほぼいないこともまた事実だった。いや、それはノエルに限った話ではない。仮に他の誰かが同じように失態を犯したとしたら、それ以外の者はそれを理由に必ずその誰かを奈落の底へ引きずり込んでいくだろう。

ラメクという絶対的な支配者がいなければ、この国の政治の世界は決して一枚岩にはなり得ないのだ。誰もが自分の利権を守り、そして他の者より少しでも秀でて自分の立ち位置を上げようとする。支配者の近くにいればいるほど安全にはなるが敵は増えていく。そして、僅かな失態一つが、足を大きく引っ張る結果となるのだ。

 

「しかし、この問題は根が深いですな」

 

会議が始まってからというもの、前回の饒舌さが嘘のように沈黙を守っていたアルフレートが口を開く。まだ何事かノエルに向けて言いたげだったヴィルヘルムも、黙ってその言葉に耳を傾けた。

 

「我々政府の管理下にある武器庫から武器が奪われた。外部からの侵入者にせよ、内部に手引きした者がいるにせよ、どちらにせよこの国が内部から崩れていることの何よりの証拠ではありませんかな?我々にとって重要なのは、この国を安全平和に管理し、総統閣下をお守りすることだ。そのそもそもの牙城が穴だらけ、ということになる」

 

アルフレートは懐から取り出した黄緑色のハンカチでいつものように口元を拭う。その隙に、ヴィルヘルムが口を挟んできた。

 

「ふん、そうは言いますが、武器庫に一番近いのは軍部の人間だ。君の部下たちが手引きしたのではないかね?それよりも、当の軍部そのものが反乱軍と化している可能性すらあるんじゃないのか。まずはその点を憂慮すべきだ。君の部下の教育の程度が伺えるというものだな、ノエルよ」

 

何かにつけてノエルの揚げ足を取ろうとするヴィルヘルムへの苛立ちを抑え込み、ノエルはアルフレートの方へと向き直る。

 

「まさにその通りだ、カナリス。奪われた武器の量からしても、今回の反乱は単なるデモの域をはるかに超えている。我々は戦争を仕掛けられていると考えるべきだ。相手の規模はまだわからんが…、総統閣下の言うような、ただの子供たちでは、ないかも知れん」

 

先ほどまでノエルへの攻撃に躍起になっていた会議室が、水を打ったように静まり返る。そう、これは戦争なのだ。この国が始まって以来の、大掛かりな戦争。混乱は避けられない。あの災害の時にも似た混乱が、また引き起こされる可能性もあるのだ。

 

「他国からの親善大使を全世界ネットで公開処刑したノエル軍事総司令にしては弱気なお言葉だな。それともやはり、ご自分の育てた部下が相手になるというのは死神といえどやりづらいものなのかね?」

「貴様、ヴィルヘルム」

 

尚も皮肉を繰り返すヴィルヘルムに、ノエルは思わず席を立って詰め寄ってしまう。

政治の場では相手の冷静さを損ねるのが一番効果的な戦略であることは、この二年で充分に理解してきたつもりだったが、それでも抑えられないこともあった。

 

-クソ、俺にはやはり政治は向いていないな。

 

「兵士たちが手引きしたと決まったわけではないし、調査もこちらで行なっている。前回、仲間割れをしている場合ではないと同意したばかりではなかったかな、ヴィルヘルム局長。今は軍部も情報局も協力して反乱を防ぐべき時だ、もっと建設的な意見を出せ」

 

言葉を発しながら徐々に語気を抑え、もう少しで掴みかかろうとする手を握りこむが、ヴィルヘルムは尚も挑発を続けてくる。

 

「建設的な意見とは言うがね、ノエル軍事総司令。国内、しかも政府内に反乱分子がいる可能性が出てきた今、このような会議に何の意味があると言うのだね?ここでの話がすべて反乱分子どもに筒抜けになってしまう可能性すらあるのだよ。それならば、危険分子はあらかじめ外しておいた方が、国家と、そして総統閣下のためになると思わないかね?」

 

そうして一呼吸置くと、ヴィルヘルムはノエルにとって到底信じられない言葉を言い放つ。

 

「そもそも、君が裏切り者でないという保証も、どこにもないのだよ、ノエル」

 

言葉が終わるか終わらないかのうちに、ヴィルヘルムの首にはノエルの手が伸びていた。憤怒に満ちた両目を大きく見開き、両手でヴィルヘルムの首を絞め上げながら壁際へと引きずって行く。

 

「貴様、貴様今何を言った、何を言ったヴィルヘルム」

 

首を締め上げられても尚余裕の表情を崩さぬヴィルヘルムへ、ノエルは怒声を浴びせ続ける。

 

「お、俺が総統閣下を裏切るだと?言うに事欠いて貴様。この俺が、総統閣下を?お、俺を貴様ら欲にまみれた豚どもと一緒にするな。俺だけだ、俺だけが総統閣下の御意志を理解している。この国を作り上げたのは俺と総統閣下だ。俺とお前らは違う。お前らなんかと一緒にするな」

 

-焦りすぎですね、これだからお子様は嫌になる。

 

喚き散らすノエルを横目で眺めながら、アルフレートは誰にもわからぬよう小さく溜息をついた。ヴィルヘルムとノエル。政治に関してはまったくの素人のこの二人が、この真新しい政権においては二大勢力のような扱われ方をしている。アルフレートとしては今回の反乱と、それに伴うトラブルに関連して、どちらか片方の力だけでもうまく削がれてくれればとは思っていた。

 

-しかしまぁこんな子供みたいな喧嘩の仲裁役をやらされるのは話が変わってきますよ。

 

何か大きな反乱が進行しつつあることはもう間違いがないようだった。現状ではまだまだ考えにくいことではあったが、何かしらの間違いがあってラメク政権が崩壊に導かれないとも限らない。

 

-まずは身の安全だけでも確保したいんですがねえ。

 

相手が大量の武器を持っている以上、小競り合いをする前にそれに対する対策を考えねばならない。ノエルのような軍部と違い前線に立つことなどアルフレートには考えられもしないが、政府そのものが反乱軍に攻め込まれる可能性もあるのだ。

まずはこの場を収めなければならない。軍部に怪しい者がいるなら宣伝省情報局に徹底して調べさせ、不安要素は排除せねばならない。場合によっては政府高官それぞれに護衛もつけたいところだが、その護衛は結局軍部の人間を使わねばならないのだ。

 

-これはここいらで、動いておきませんとね。

 

アルフレートが立ち上がってノエルとヴィルヘルムを制そうとした時、会議室の扉が音もなくゆっくりと押し開けられた。

 

 

今、この国の政府高官の数は決して多くはない。この会議に参加できる者の数は限られていて、その人数は既に室内に揃っていた。会議中のこの部屋には、本来であればもう誰も入ってこられないはずなのだ。今ここに入る者がいるとすれば、何か余程の緊急事態でそれを伝えにきた護衛か、或いはそんな事態とはまったく無関係にここを出入りできる者だけだ。

そう、それはつまるところ-

 

「ノエル、ヴィルヘルム、落ち着け。そうだ、席に戻れ」

 

この国の最高権力者しか、あり得ない。

 

会議室は先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。あれほど怒声を浴びせ合っていたヴィルヘルムも、ノエルも、時を止められたかのように微動だにしない。アルフレートや他の者にしても、まるで息を吸うことすら忘れてしまったかのようだ。

決して威圧感を与えるような容貌はしていない。むしろ、体躯は決して大きくはなかったし、男性としては美しすぎるその容姿は、こういった政治の席に必ずしも向いているとは思えない。しかし、その男がここに現れ、ただ一言言葉を発しただけで、その場の全員を黙らせてしまった。ただ黙らせるだけでは済まない。文字通り、時間を完全に止めてしまったのだ。

 

「ノエル、ヴィルヘルム、聞こえなかったか?私は、座れ、と言ったぞ?」

 

掴みあっていた二人の議員は、その瞬間弾かれたように姿勢を正し、襟元を正しながら敬礼の動作を取る。そして、それを合図にしたかのように他の議員たちも時間を取り戻した。息をつく音が部屋のあちらこちらから漏れる。

 

「そ、総統閣下、何故こちらに…」

 

アルフレートは、額をハンカチで押さえながら恐る恐ると言った風に声を掛けた。ラメクがこの会議室に姿を現わすことは滅多にない。ラメクは実際の政治に関わることはほとんどなく、国民にとって象徴のようなもの。少なくともアルフレートにとっては、そういう認識だった。故に、この場に現れることなどほぼあるはずもなく、これまでは政府高官であっても、その姿を見ることがあるのはパレードや演説の時に限られていた。実際のところ、アルフレート自身もラメク本人に直接会って言葉を交わしたのはこれまでの三年間でも両手の指で数えられる程度しかない。そもそもその数回ですら、一方的に見たという方が近い、その程度の接触でしかなかったのだ。報告のやり取りは電子メッセージで済ませていたし、直接的な言葉のやり取りは皆無と言って良かった。その男が今、手を伸ばせば触れられる位置にいた。そして、そこからはおよそアルフレートのこれまでの長い人生でも感じたことのない、圧倒的な気配が漂っている。

 

-これが、ラメク総統閣下。こちらが恥ずかしくなるほど…

 

「どうした?私がここに来てはまずかったか?カナリス経済大臣」

 

ただ振り向かれただけで心臓を射抜かれたように縮みあがりながら、アルフレートは慌ててハンカチで汗を拭う。冷たい汗が流れていく。背中に、額に、冷たい汗がとめどなく伝っていく。

 

-何がカリスマだけの象徴ですか、あまりにも、圧倒的にすぎる。

 

「ノエル、ヴィルヘルム、そして我が愛する選ばれし仔等よ」

 

ラメクは、一呼吸置いた後に穏やかな物腰で話し始めた。その声は会議室全体に異常なほどによく響く。僅かな吐息さえも、部屋の端から端まで届きそうなほどに。

 

「我々の描く平和が今乱されんとしている。美しき国家と、親しき仔等が犯されようとしているのだ。諸君等は国家の代表であり、選ばれし民の中から更に選ばれた存在だ。私が選んだ、大切な、貴重な存在だ。諸君等こそがこの国であり、諸君等あっての平和だと私は思っている。仲間割れはよして欲しい。こんな時こそ、手を取り合い、すべての仔等のことを考えて欲しいのだ」

 

ノエルもヴィルヘルムも、そしてその部屋にいるラメク以外のすべての政府高官たちが、硬直したまま動かなかった。

 

「国は今、あの日の災害のような混乱に見舞われようとしている。三年の間に作り上げたこの国が、今度は人の悪意によって崩壊へ導かれてしまうかも知れない」

 

ラメクは室内をゆっくりと移動しながら、一人一人に囁き掛けるように言葉を紡いだ。

 

「しかし、今回はあの時とは違う。この国には諸君等の存在がある。何かが起こる前に、諸君等がこの国を守るために動いてくれる」

 

ラメクはノエルとヴィルヘルムへと近づき、その間に割って入るように立った。

 

「ここに、裏切り者などはいない。いるはずがない。皆選ばれし、愛すべき仔だ。平和を犯そうする者たちに、心を乱されてはいけない」

 

部屋にいる誰もが、ラメクの言葉をただ無心で聞いていた。普段は互いの利権だけを考え、自己保身と自己顕示欲だけで腹の探り合いをしているような政治家たちが、皆ラメクの言葉に黙って耳を傾けていた。

 

「我々は愚かなる反逆者の手から、この国を守らねばならない。諸君等のやるべきことは見えているだろう。敵の目星もついている。あとは私に任せて欲しい。私の言う通りにやれば、すべてがうまくいく。諸君等も、愛すべき仔等も、私が必ず守ってみせる」

 

支配者は、わずか数分でその場の空気を完全に飲み込んでしまった。今やこの会議室はラメクの独壇場であり、ノエルやヴィルヘルムの諍いも、アルフレートの策略もここでは通じなかった。やがて誰ともなく鳴らされた拍手と共に会は閉会し、ラメクはその場を後にした。

 

 

to be continued...