治療総括・1 | 精巣腫瘍治療記+α

精巣腫瘍治療記+α

2009年末、21歳で精巣腫瘍に罹患。一度は転移なしとなったものの翌年再発し5月から化学療法。患者であると同時に薬学生でもあるので、患者側と医療側双方の視点でこの病気と向き合っていければと思います。また自分の病気とは関係ない勉強、研究、趣味の話もちらほら。

総括などと銘打っていますが、退院を前に思うことを思いつくまま書いてみようというエントリ。


「病理の結果」のエントリにも書きましたが、今もあまり実感がわいていません。
寛解であるということ。治療がひとまず終わりになるということ。
いまいちピンとこない。
5月10日に化学療法のために入院して以来およそ4カ月。
その間、退院や外泊もしましたが、基本的な生活拠点は病院であるという、
客観的に見れば異常ともいえる環境で生活してきました。
世の中には年の単位で入院・闘病されている方もいらっしゃるのは承知していますが、
それでも、断続的とは言え入院期間4カ月というのは十分長い方に入るのではないかと思います。
その生活ももう少しでやっと終わる。
そのことに対する喜びや感慨がもっとあってもいいと思うのだけど、あまりありません。

あえて言うならば。
周りを見回した時に、同じ病気と闘っている人がいる。
その方々は、皆基本的にはこの寛解という所を目指して治療されているはずです。
その地点に到達することができた。
そういう視点から、幾ばくかの感慨を感じてはいます。

自分が何でこんなに淡々としているのか、いくつか解釈の仕方はあると思います。
例えば、自分の性格。
自分を取り巻く状況や環境が変わることについて、どちらかと言えば鈍感で、
「何が起きても気にしない、まあ何とかなるだろう」みたいな態度でやってきました。
実際、この病気になった時にもそんなに慌てなかったし、そのかわり、
治った時にも特別大きな心境の変化はないということなのかもしれない。

あるいは、今回の結果が、嬉しい結果とはいえ想定通りだったということもあるかもしれない。
化学療法から手術、そして病理検査の結果をもって寛解宣言というのは、
ほぼ5月の治療開始の時点からの「シナリオ通り」でした。
こうなることを予想してたとか、期待してたとか、信じていたとかではなくて、
こうなること以外のケースは想定しなかった。当然寛解でしょと思い込んでいた。
だから、寛解と聞いても、ああ予定どおりね、としか思わなかったのかもしれません。
そのかわり、今回の病理検査が「シナリオ通り」でなければ再度化学療法が行われたはずで、
もしそうだったら精神的に耐えられなかったと思います。

とまあ、色んな事が考えられるのだけど、自分が最近思うのは、
この病気がまだ終わっていないからではないかということ。
まだ決して区切りなんてついてない。だから特別な感慨なんて無いのではないか。
たしかに積極的な治療はこれでひとまず終わりです。
でも、これからも自分はこの病気と付き合っていかなければならない。
数か月に1回のペースで経過観察をしていくことはもちろんですが、他にもあります。
例えば、がんになった人の中には、寛解したものの仕事を辞めさせられたり、
そこまでいかなくても待遇面で差別を受けている人がいると聞きます。
自分はまだ就職していないので分かりませんが、仕事面に限らず、
がんという病気やサバイバーに対する社会の目は、必ずしも温かいものとは限らないのが現状です。
また、自分の片方残った精巣は、抗がん剤の副作用で造精機能を失ってしまいました。
これの回復についてもしっかり追っていかなければなりません。
このように、治療が終了したからと言ってまだまだ片付いていない問題があります。
あるいは治療をすることによって新たに生じてきた問題もあります。

これまで寛解という言葉を使ってきました。
これは「症状が良くコントロールされ、軽減・消失し臨床上問題にならない状態」のことだそうです。
これは完治とか治癒とは異なります。
自分は完治ではありません。というか、がん患者は完治と言うことはたぶん出来ないのだと思います。
がん患者の場合、身体の中からがん細胞が一切無くなれば完治ということになります。
でもそのことを証明はできません。いつ再発するか分からない。
精巣腫瘍の場合、再発するなら5年以内に再発することがほとんどだそうなので、
今から5年間再発が無かったら事実上の完治と言えるのかもしれませんが、
理論上は、自分がこれから生きていく間ずっと、再発の可能性が付きまとうことになります。



就寝時間になったので、今日はこれくらいでやめておきます。