夕方の本屋には、何かしら人が集まって来る。それが中心街にある大型書店ともなればなおさらだ。
仕事帰りの会社員、買い物中の主婦、散歩がてらの祖母と孫・・・。
比較的、中高校生が多いのは、バスを待っているからだろうか。
もちろん帰り道や何かのついでなどではなく、目的をもって書店に来ている人もいる。
とある街の本屋における光景としては、ありきたりなものだろう。
「何か『マネージャー』、あるいは『マネージメント』に関する本はありますか?」
彼女がそう訊ねた相手は、若い書店員だった。
「・・・・・」
書店員は、彼女をほんの少しの間、じっと見つめた。
女子高の制服を着たその姿と、今訊ねられた内容との差異に戸惑いを覚えているのだろうか。
書店員の方はおそらく20代前半だが、ひょっとすると大学生でアルバイト店員かもしれない。
その場ですぐ答えるには、少々難しい質問だったのではなかろうか?
若い書店員は答えるべく、言葉を発しようと考え込んでいたが、
ふいにその口を閉じ、一拍置いて、顔を上げて、あらためて向き合って、彼女に言った。
「──では、これなんかいかがでしょうか?」
書店員が薦めたのは『マネジメント』という本だった。
経営学の創始者と呼ばれたP.F.ドラッカーが書いたもので、
『マネジャー』『マネジメント』について書かれた本の中で最も有名であり、世界で一番読まれた本だという。
説明を終えると、書店員は微妙な笑顔を浮かべて、女子高生を見た。
だが彼女が迷ったのは、ほんの3~4秒のことだった「・・分かりました。これを下さい」
会計を終え、本を抱えて店を出て行く姿を見送りながら、
書店員は彼女の即決力・思い切りの良さについて思いを巡らせた。
「頑張ってね、マネージャーさん」ふと声にならない声でつぶやいていた。
「・・・でも、ちゃんと読んでくれるかなぁ?」
<奥沢桃編 Side-A1(憤慨)>
たぶん23歳。ちなみに親は村会議士ではなく、普通の公務員である。裕福な家ではない。
だからという訳でもないが、書店員もバイトをしている彼女、奥沢桃はエプロンを外した普段着
─白のブラウスにジーンズ姿、ちなみに黒髪ロングで眼鏡─で、
しかめっ面を浮かべて、大学の構内を”早足で”歩いていた。
現在時刻は13:42。講義はとっくに始まっている。
「こんなはずじゃ・・・」とブツブツつぶやきながら、桃は歩くスピードを上げた。
桃は学校においても、またアルバイトにおいても、決して遅刻の常習犯などではない。
いつも約束の5~10分前には、必ずそこに到着していることを信条にしている、真面目な女性だ。
今日に限っては、いつも通りに家を出て車で大学に向かったはいいものの、
初心者マークを付けた新車が、目の前をノロノロと走っていたのだ。
そう言っても、その初心者は40キロで走っていたし、明らかに制限速度は守っていたので、非難が出来ない。
だが事あるごとにブレーキをかけ、スピードを緩め、その度に後ろを追う桃は、舌打ちを隠せなかった。
「いい車乗ってるくせに!あぁ・・もう、ブレーキなんてかけんなよ!!前空いてるでしょ。さっさと行ってよ!」
奥沢桃は至って真面目な女性だ。だが運転の際には少々強気になったりする。
「初心者はさっさと道空けろってのよ!!ほら脇に入りなさいよ。あぁーもう・・ざけんなよ!!」
遅刻するかも・・という焦りもあって、ますます自棄になり、ヤンキーまがいな口調になるのものの、
その初心者は、最後まで道を空けなかった。
結局、講義の開始時間から15分遅れて、桃は教室に到着した。
「─しかし実際には”我々の事業とは何か”という問いにはほとんどの場合、答えるのが難しい問題であり、
分かりきった答えが正しいことはほとんどない、と言われています─」
初老の教授はいつも通りの、どこかしらゆったりした口調で講義を始めていた。
途中で申し訳なさそうな顔で教室に入ってきた桃には一瞥をくれただけで、そのまま講義を続けたので
桃は肩透かしをされた気分になった。
(なんだ、焦って損した・・・)
「ここでいう分かりきった答えとは、そうですねぇ、我々の周りのことでいえば、大学の食堂の目的は?
学生が食事をするためのものですよね。大学の目的は何か?学生を教育するための場所です。
図書館は?本を借りて読むための場所ですね。」
桃は前回の講義のノートを広げ、急いで話の内容を追った。
教授がどうやらドラッカーの著作を一例として、再びふれているのが分かった。
この経営学の講義は、学生には密かに人気がある。理論や理屈を延々と述べるようなものではなく、
もっと分かりやすく、中高生にも理解できるよな例えを出して解説してくれると評判なのだ。
「鉄鋼会社は鉄を作り、鉄道会社は貨物と乗客を運び、保険会社は火災の危険を引き受け、銀行は金を貸す。
端的にいえばどんな事業の目的も”ものを売る”に尽きるでしょう。でもそれだけではないということなのです。
「マネジメント」にも載っているキャデラックについて話しましょう。
キャデラックをご存知の方はどれくらいいらっしゃいますか?あー・・1/3くらいですね。
キャデラックとはアメリカの有名な自動車会社です。
1930年の大恐慌で非常に経営が危うくなったのですが、それを救ったのがニコラス・ドレイシュタットという人物でした。
彼は「我々の競争相手はダイヤモンドやミンクのコートだ。顧客が購入するのは輸送手段ではなくステータスだ」と言いました。
車が単なる輸送手段ではなく、その車を持つことが格好いいというステータス。
ダイヤやミンクのコートと同様に自分を彩るブランドという側面もあることを導き出したんですね。
これは今現在の日本車も同様の側面があると思います。
乗り心地がいいとか、外装がおしゃれだとか座席がいいとか、
ステータスというよりはサービスですね。車に乗っている方はお分かりだと思います。
中には車は運転できて、スピードが出ればいいという方もいらっしゃいますが・・・」
そう言って教授は桃の方を向いた─ような気がした。
(え?教授私のこと知ってるの・・)そんなはずないと思いながらもドキリとしてしまった。
桃は車は移動手段でしかないと考えていた。しかも少々スピード狂でもある。
今のところ違反切符は切られていないが、ちょっとやばかったことは何回かある。
(別にいいのよ、私は。軽自動車でも軽トラでもある程度走れれば・・・)
「その一方でそういうステータスやサービスを求めない顧客もいる。そういう人たちに向けて
軽自動車の販売に力を入れているところもあります。車だけでなく、自分でガソリンを入れる
セルフサービスのガソリンスタンドもある意味そうですね。店員による車内の清掃や点検はいいから
ガソリンだけを入れて欲しいと。そういう人たちに向けたもので大成功しています。
車とは何か?というだけで様々な側面が浮かぶ上がってきます。
あぁーそうか・・・と心で頷きながら、桃は懸命にノートをとっていた。
(私は車は軽自動車でいいと思ってるし、燃費がよければいいし。あっでも音楽が聴けないとさびしいし、といっても遠出はしないからカーナビはとりあえず必要ないかも・・)
桃は自分にとって一番欲しい車とは何かについて考えをめぐらせた。
というのも、ローンでもいいからもう少し”良い感じの車”を買うのもどうだろうかなどと、
昨日、親に言われたからだ。
親が資金を出してくれるわけではない。自分で買えというのだから勝手なものだ。
今乗っている車は、免許を取ったとき親がプレゼントとしてくれたものだ。20万の中古だったが。
桃は車には興味がなかったし、動けばいいと思っていたので何の反論もなく受け入れた。
行動範囲が広がるのは気持ちよかったし、通学にも便利だったので快適だった。
だがさすがに中古だけあってガタがきているのを、ここしばらく感じていた。
いっそのこと新車を買うとなるとかなりの大勝負である。しかもローンでならなおさらだ。
今後10年は乗るつもりなら何を優先すべきだろう?
(結婚して子供が生まれたら小さい車じゃ不便かな・・。あ、でもそんときは旦那に買わせりゃいいのよね・・。ねぇーあれ欲しいのぉ、とか言えばイチコロでしょ、どうせ。・・・そんな甘えたセリフ言ったことないけどさ)
桃は年齢=彼氏いない歴でありながら、やけに未来を見据えた想像を働かせていた。
もちろん周囲は桃がそんな想像をしているとは露とも思わない。
机に突っ伏すようにノートに書き込みをしている姿は、いかにもガリ勉タイプだ。
しかも長めの黒髪と眼鏡で表情をさえぎってくれたりする。
授業中だけでなく、車の運転時にも想像が(たまに)あっちこっちにいってしまう桃だが、
この風貌がそれを隠すのに役立っていると思っていた。
「そうですね。もう少し例を出しましょう。本屋とは?です。当然人々に本を売る場所ですね。
でも面白い話があります。皆さんは一年で一番本が売れる日があるのをご存知ですか?」
教授は教室を見回したが、みんな首をかしげるばかりだ。本が売れる日?全国共通の発売日がなかったっけ?
ジャンプの発売日は月曜でマガジンは木曜だけど。月末じゃないの?
と全員が考えをめぐらせているとき、一人の男子生徒が手を挙げた。
「あの・・・12月23日ではないでしょうか?」
窓際に座っていたその男子生徒は、確か二階正義という名前だったはずだ。しょっちゅう女の子と二人連れで構内を歩いているのを桃は何度も見かけている。しかもその時々で全部違う女の子だった。
一部の女子生徒からは「ナンパ野郎」として名が知られているが、成績優秀であるという話も聞く。
「ほう?それは何故だと思います?」教授は微笑みながら問いかけた。
二階正義は動じずに答え始める。
「えぇと、理由は二つあります。一つはその日が天皇誕生日で休日であること。
休みの日はやっぱりお客さんはいつもより多く集まります。もうひとつはクリスマスイブの前日であることです。それは多くのお客さんがプレゼントとして買うからではないでしょうか?」
「ほう、いい答えですね」
その答えに全く考えが及ばなかった桃は、ばれないようにチラッとだけ二階にガンを飛ばした。
(イケメンで頭脳明晰かよ。嫌味よね全く・・・)
「では、この事実から何が分かるのか?どうでしょう?」教授は再び二階に問いかけた。
「・・・・本は贈り物でもある、ということですか?」今度はちょっと迷ったのか、疑問形での回答だった。
「ほぼ正解ですが、あともう少しですね」どうもありがとう、といって教授は二階に席に座るよう促した。
頭を掻きながら苦笑いを浮かべる二階に対して、桃はちょっとしたざまぁみろ感を抱えて、再びチラ見した。
(へっ!何でもかんでも正解出されてたまるかよ)
「本は必ずしも読まれるためのものではない、ということなのです。買った人が読む、というものだけでない。多くの人が本は読むために買うものだと思っています。でも実際には読まずにそれを誰かに贈る人もたくさんいるのです。
先ほどお話したように「事業の定義とは何か」が「分かりきった答えが正しいとは限らない」ということなのです。
・・・でも贈ってもその人が読んでくれなければ、「本」が可哀想かなと私は思ってしまいますけどね」
教授は笑いながら付け加えた。桃にはそれがよく分かった。本を贈った経験はないが、贈られたことは何回かある。
でもそれほど興味があるものでもなかったので、ずっと本棚の奥にしまいっ放しになってしまった。
本は余程欲しいと思ったら自分で買う。でも買ったはいいが、それに安心してなかなか読み出さないこともあった。
だから”本が贈り物”と言われてもいまいちピンと来なかった。
(私は変わってるのかな?でも子供へのプレゼントだったらありなのかな。
だったら絵本だよね。マザーグース?ピーターラビットもいいかも・・)
疑問と妄想があふれ出したが、桃は何とかこらえ、発言しようかと思ったがそれもやめた。
そもそも目立つのは好きではない。
さっき遅刻して教室に入るときに、皆の視線が集中するのもたまらなく嫌だったのだ。
「大学とは何か?と先ほども言いました。もちろん教育の場であるわけですが・・・。
これも簡単に一言では到底答えられるものではありません。少なくとも私は答えられません。
もちろん教育観は人によって様々ですから、私がお話するのはあくまで一例です。
・・・ですがこれはこの講義の最終日にお話したいと思います」
なんだか肩透かしをくらった気分だった。せっかく良い話が聞けそうだったのに・・・。
でもこの教授の話は聞きやすいから通ってるけど、それだけじゃだめなのだろうか?
大学の講義って何なの?他に何か別の意味があるの?
そんな桃の思いをよそに、唐突に教授は言った。
「─さて皆さん。高校野球の目的とは、一体なんだと思いますか?」
<続く>
→第2話
http://ameblo.jp/creston/entry-11347660992.html
二次小説 書いたよ♪ |