東京2020オリンピック閉幕 | クレスト榛東校の塾ブログ 群馬県榛東村・箕郷町・金古町・吉岡町の小中学生対象の学習塾

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17日間に渡って連日,日本のメダルラッシュに沸いた東京2020オリンピックが,8月8日に幕を閉じた。開催期間中にどんどん増加する国内の新型コロナ感染者の数と,日本人選手が獲得したメダルの数が新聞の紙面では並び立って掲載され,何とも複雑な思いで目にする毎日だった。

 

初めて五輪を見たのはロサンゼルスオリンピックだ。モスクワオリンピックの不参加を経て8年越しに見たその光景は,とても華やかでまぶしかった。のちに商業五輪の始まりと揶揄(やゆ)されることもあるが,それまで開催都市は多額の費用を負担し大きな赤字を抱えるため,開催に名乗りを上げる都市はほとんどなかったと言う。事実,1984年大会も開催都市に立候補したのはロサンゼルスだけだった。五輪誘致に奔走し,自国での開催が決まった時の現在の熱狂ぶりを思えば信じられない話だ。

 

空を飛ぶ通称ロケットマンに代表される,ショーマンシップにあふれた派手な演出で幕を開けたロス五輪は,結果として商業的に大成功をもたらした。税金を一切使わず,テレビの放映権料,スポンサー協賛金,入場料収入,記念グッズの販売などで赤字どころか莫大な利益を開催都市は手に入れた。決してそれは非難されることではない。楽しむためではない,勝つためのスポーツにはとにかくお金がかかるのだ。五輪で手にした400億円の利益はすべてアメリカのスポーツ振興のために寄付された。

 

日本人選手で特に印象に残っているのは,柔道の山下泰裕選手だ。エジプトのラシュワン選手との決勝戦は五輪の名勝負として長らく語り草だった。ラシュワン選手は,山下選手が右足を負傷しているのを知りながらそこを攻めずにフェアプレーに徹した。敗れはしたものの金メダルを取った山下選手以上にのちに称賛を浴びるというのも五輪ならではだなと強く感じた。このときの世界的な五輪のヒーローは,何と言ってもカール・ルイスだろう。陸上男子100m,200m,4×400mリレー,走幅跳で4冠を達成し,世界中を魅了した。

 

その後,ソウル,バルセロナ,アトランタ,シドニー,アテネ,北京,ロンドン,リオデジャネイロと場所を変え,アスリートの戦う姿は,月並みな表現ではあるが多くの感動と勇気を与えてくれた。年を重ねるごとに,また自分を取り巻く状況によっても感動の度合いは変化する。時間に余裕のあった若いときと比べ,仕事が忙しくなってからはなかなかじっくり見る時間も限られるし,感動の純度も減ってきた。それでも初めて目にしたロサンゼルスオリンピック以上にとりわけ鮮烈な印象として残っているのが,シドニーオリンピックで高橋尚子選手が金メダルを取った女子マラソンだ。ロス五輪以降の日本はまさに冬の時代で,金メダルの数で言えば,ソウルで4個,バルセロナで3個,アトランタで3個と,とかく日本人選手は本番に弱いと批判され続け世界のスポーツ大国とは大きな差をつけられていた時代だった。そんな中,メダルを期待されるプレッシャーを逆手にとるような会心のレースで勝利した高橋選手は,日本の新しいアスリートの姿の先駆けだったと思う。

 

レースの途中でサングラスを投げ捨て一気のスパートでゴールまで駆け抜けた劇的な戦い方や,勝利者インタビューで一切の涙も見せずに「すごい楽しい42キロでした」と笑顔で語るその姿は,それまでの日本人選手の悲壮感や苦渋に満ちた戦い方,勝っても負けても涙で言葉を詰まらせるというウェットな姿とはまったく無縁のものだった。また亡くなった小出監督も豪快な性格で,愛弟子をQちゃんと呼ぶ師弟関係はとても新鮮だった。オリンピックに向けた練習はもちろん計り知れない過酷な内容だったはずだが,かつてあたり前とされた鬼監督,スパルタ指導という形ではなく,「苦しい練習でもとにかく自分はこの競技が好きなんだ」というアスリートとして一番大切なことを多くの人に教えてくれた。

 

その後の五輪では,北島康介選手の「チョー気持ちいい」,谷亮子選手の「田村で金,谷でも金」,体操男子の「栄光の架橋」など多くの名言も生まれた。今回の東京オリンピックでは,メダルを手にした日本人選手の多くが「感謝」という言葉を口にしていた。コロナ禍による1年延期,無観客,五輪開催に対する批判的な声。多くの逆風に耐え抜いたすべての選手たちに心からの拍手を送りたい。

 

東京2020オリンピックで日本人選手が獲得したメダルは,金27個,銀14個,銅17個で合計58個。1988年のカルガリー冬季五輪で日本が獲得したメダルは,スピードスケートの黒岩彰選手が取った銅メダル1個だった。それでも当時,大ニュースだったのをよく覚えているから,その頃を思えば,今回のメダル58個は隔世の感がある。快挙と言って良いだろう。

 

ただ感動のドラマは58個だけではない。どんな世界でも光があれば必ず陰がある。勝者の陰に隠れた敗者のドラマにもオリンピックならではの感動がある。東京オリンピックの閉会式でいちばん印象に残ったのは,アーティスティックスイミングの選手たちが大きな日の丸の旗を持って入場し,そこに記した「開催して下さりありがとうございました!」の文字だった。これまでの葛藤や苦しみ,メダルに手が届かなかった悔しさなど,胸の奥にしまい込んだ言葉はたくさんあったはずだ。それを表に出すこともなく,ただ感謝の気持ちだけを伝えたこの言葉に,選手たちのいろいろな思いを感じ取って胸が熱くなった。たとえ後世に語り継がれることがなくても,金メダリストが残した過去の名言に負けず劣らず素晴らしい言葉だと思った。

▼過去のオリンピックに関する新聞記事のスクラップです。

 

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