数日前からショーソンの詩曲を聴いている。
クラシック音楽に目覚めた頃から、この曲はしばしば
聞いていた。というよりは曲名だけを耳にしていた、と
言った方が正確かも知れない。
それは、ドイツ音楽を聴いた耳の所為でもあるのか、
このショーソンの音楽には拒否反応のように、私は
一向に馴染めなかった。曲の初めの方だけを聞いて、
後はもう耳を閉ざしているようなものであった。
そう言えば、ショーソンの交響曲も同じような傾向に
あった。ブログを書くようになって、ようやく本気で聴いて
みた、というのが正直なところだ。
という訳で、交響曲の方は以前にエントリーしたことも
あって、今回は同じCDに入っている詩曲を聴く気になった。
2~3回聴いているが、冒頭の響きから一種不思議な魅力
を感じる。ほの暗く、物憂く、そして幻想的な気分である。
やがてヴァイオリンがソロで出てくると、ヴィオラかと思える
ほどの地味な音で静かに旋律を歌うが、これは深い悲しみの
哀歌、もしくは私には挽歌に聞こえる。
やがてそれがオーケストラと共に次第しだいに盛り上がって
いく。ヴァイオリンは終始高音で繊細であり、オーケストラは
劇的でもあるが、決して刺激的な音でなくて安らかな響きを
醸し出している。
何度か繰り返される印象的な旋律がテュッティで最高に
高まるところが最も劇的であるが、やがて平穏で静かな
終止を迎える。
聴き終わって、なぜか心が浄化されたような気持ちになる。
昨日は知恩院奥の一心院で、病弱で60歳で他界した母の
50回忌を無事済ませることが出来たので、幾分そんな気分を
反映しているのかも知れない。
演奏:シャンタル・ジュィエ/デュトワ指揮モントリオール
交響楽団