「国語とは体育である」?ーー"ことば"を散歩する①ーー | α × CRedu

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 私は、主に国語の授業を担当しているNと申します。

 

 これから、「国語」というか、もうすこし広く、「ことば」というものをめぐって

 いろんなことをゆるく書いていこうと思います。

 

 どうぞ、おてやわらかに~

 

 

 「国語とは体育である」

 これは、大学の、教員免許を得るための必修授業の一つで、現役のベテラン高校教師が、学生に放った言葉を、少しデフォルメしたものです。

 正確に言えば、「国語と非常によく似ている他教科の科目は体育である」と言ってましたが、これをおっしゃったときの、

 いかにもな「かましたったで」感を加味すると、こう書き改めてもまあ大丈夫かな、と。

 

 当時、私は、その先生の、節々で顔を出す「ドヤ?」感や、現場数十年ということを盾に教育学的な理論を下に見る威圧的な雰囲気のすべてが受け入れられず、どうしてでも眉に唾をつけて聞いてやろうと、思っていました。

 だからこの言葉を聞いた時も、「またえらいマッチョなこというてはるわ」と、目をほそーくしながら、半身で、まるで身の危険を感じたときのアフリカオオコノハズクのようになって、その言葉を受けとめていました。

 

 さて、では、「国語」と「体育」にどんな共通点があるのか?

 

 師曰く、走れと言われて走り方が分からない者、跳べといわれて跳び方が分からない者はいないように、文を書いたり読んだりすることも、それ自体ができないものはいない。体育の授業は、速い走り方、遠く高く跳ぶ、良い仕方を教える。同様に、国語は、言葉を用いる仕方をより良いものにすることに関わる科目である。したがって、国語と体育はよく共通しているといえる。

 

 さて、これを見ている方は、この言葉をどのように思われますか? 

 

 もちろん、当時の私はというと、これを聞きながら、羽根をぐーっとたたんでいき、目を線のようにし、体をやや斜めに、絞るように旋回させ、私は納得していませんよという意思表示を、ただひたすらにしていたのですが。

 

 

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