悠斗です。
 

 

動画を作る仕事をしています。

 

 

はじめて

自分で動画を作れるようになったとき

のことを

この頃よく思い出します。

 

 

最初は、
カットするだけでも

時間がかかりました。

 

 

どこで切ればいいのか。
どこを残せばいいのか。
テロップはどのくらい入れればいいのか。
音は大きすぎないか。

 

 

ひとつひとつが、
いちいち難しかったですが、
少しずつ慣れていきました。

 

 

素材を並べて
不要な間を削って
テロップを入れて
BGMを置いて
最後まで形にする。

 

 

ただの素材だったものが、
一本の動画になっていく。

 

 

その過程が、
すごく楽しかったです。

 

 

「自分にもできるんだ!」

 

 

 

そう思えた日のことは、
今でもハッキリ覚えています。

 

 

それまでの自分は
何か特別なスキルがあるわけでもなく

 

 

ただ会社に行って
決められた仕事をして
決められた時間に帰る。

 

 

そんな繰り返しの毎日。

 

 

それが普通だと思っていましたし、
それ以外の働き方なんて
すごく「遠い世界の話」だと思っていました。

 

 

でも、
動画を作れるようになって
明らかに見える景色が変わりました。

 

 

パソコンがあれば、
自分の手で何かを作れる。

 

 

誰かに見せられるものを、
自分で形にできる。

 

 

それは、
自分にとって

すごく大きなことでした。

 

 

はじめて作った動画は
正直、今見ると粗いんですけど、

 

 

テロップの間も
音の入り方も
カットのテンポ
今なら直したいところだらけですけど、

 

 

本当に思い入れがあって

今もたまに見返します。

 

 

あれを完成させたときは、
本当にうれしかったんです。

 

 

自分の手で作ったものが、
形になっている。

画面の中で動いている。

 

 

しかもそれが

世界に向けて発信されている。

 

 

本気で

未来が、世界が、可能性が、

広がった!

 

 

と思いました。

 

 

このスキルがあれば、
どこでも働けるかもしれない。

 

 

会社に縛られなくても、
自分の力でやっていけるかもしれない。

 

 

実際、
動画を作れるようになったことで、
できることは増えました。

 

 

依頼を受けられるようになって、
少しずつお金も

いただけるようになり、

 

 

今では

人に見せられる

「実績」もできました。

 

 

「動画作れるんですね」
「お願いできますか?」

 

 

と言われることも増えました。

 

 

本当にありがたいですし、

うれしい限りです。

 

 

手に職がついたというか、

自分にもできることがあるんだ!

って気がしたからです。

 

 

ただ、
そのうれしさの中に…

 

 

だんだん

別の感覚も混ざるように

なってきました。

 

 

 

動画という

形あるものを

作れるようになった。

 

 

でも、
何を作るかは
いつも誰かが持ってくる。

 

 

素材も
目的も
納期も
求められる雰囲気も

 


だいたい依頼の中にあって。

 

 

自分はそれを受け取って
最高にいい形に仕上げていく。

 

 

もちろん、
それが動画の仕事だと思います。

 

 

相手がいて
目的があって
そのために動画を作る。

それは当たり前のことです。

 

 

でも、
気づくと自分は
「作れる人」にはなったけど…

 

 

「何を作るか」を決める側には
あまり立っていない

気がしました。

 

 

それなら…

 

 

自分で

発信すればいいのかもしれない。

 

 

そう思ったこともあります。

 

 

YouTubeでも
ショート動画でも
SNSでも

 

 

自分のコンテンツを出せば、
依頼を待たなくて済むのかもしれない。

 

 

スキルはあります。

 

 

自分で作って
自分で出して
それを見てもらう。

 

 

そうすれば、
もっと自由になれるのかもしれない。

 

 

でも、
動画を作る力と、
何を発信するかを決める力は、
やっぱり少し違う
んですよね。

 

 

編集はできる。

見やすく整えることもできる。
テンポよく見せることもできる。
それっぽく仕上げることもできる。

 

 

でも、
自分が何を伝えたいのか。

誰に向けて出すのか。

見たあとに、
何が残るのか。

 

 

そこが曖昧なままだと、
ただ動画を出しているだけ

なってしまう気がしました。

 

 

依頼の動画では
相手が目的を持ってきてくれます。

 

 

「こういう人に見せたい」
「こういう印象にしたい」
「こういう行動につなげたい」

 

 

そういう前提があるから、
自分は編集に集中できます。

 

 

でも、
自分の発信では
その前提から自分で作らないといけない。

 

 

何を言うのか。
誰に向けるのか。
なぜ、それを出すのか。

 

 

たぶん、
依頼を受ける仕事と、
自分の発信は、
使う筋肉が違うんだと思います。

 

 

動画を作れることは、
たしかに強みです。

 

 

ただ、
動画を作れるからといって、
自分の言葉があるとは限らない。

 

 

編集ができるからといって、
届けたいものが決まっているとは限らない。

 

 

動画を作れるようになったことは、
間違いなくうれしかったです。

あの日の気持ちを、
なかったことにはしたくありません。

 

 

ただ、
動画を作れるようになったからといって、
仕事や収入の不安が

全部消えるわけではありませんでした。

 

 

依頼がなければ、

収入も止まる。

 

 

自分で発信しようとしても、
今度は
「何を伝えるのか」
「誰に届けるのか」
というところで止まってしまいます。

 

 

無理矢理やってみても

どこか自分だけで空回りしているような

感覚が残りました。

 

 

動画を作る力は、
たしかに自分を助けてくれました。

 

 

でも、
それだけで

働き方まで自由になるわけではない。

 

 

今は、
そんなことを少しずつ感じています。

 

 

この違和感が残るようになったのは、
これを読んでからでした。

 

 

→ 自由な働き方の裏側にある「罠」