悠斗です。

 


動画を作る仕事をしています。

 

 

独立したばかりの頃。

 


パソコンを開けば

仕事が始まる

 

 

と思っていました。

 

 

会社に行かなくてもいい。
決まった席に座らなくてもいい。
誰かに出勤を管理されなくてもいい。

 

 

パソコンがあって、
編集ソフトがあって、
ネットにつながっていれば、

 

 

それで働ける。

 

 

そう思っていました。

 

 

実際、

間違ってはいませんよね。

 

 

素材を受け取って、
編集して、
テロップを入れて、
音を整えて、
 

 

納品する。

 

 

場所に縛られずに

仕事ができる。

 

 

自分の手で何かを作って、
それに対してお金をもらえる。

 

 

最初は、

それだけで

十分うれしかったです。

 

 

「ああ、自分の力で仕事しているんだな!」

 

 

そんな感覚がありました。

 

 

でも、少しずつ
別のことも見えてきました。

 

 

パソコンを開けば、
作業は始められる。

 

 

ただ、
仕事そのものが

始まるかどうかは、
また別なんですよね。

 

 

依頼が来ているから、

編集できる。

 

 

素材が届いているから、

手を動かせる。

 

 

納期が決まっているから、

進められる。

 

 

相手が

「こういうのを作ってください」

と言うから、形にできる。

 

 

つまり、
自分は自由に働いている

つもりだったけど…

 

 


仕事が始まるきっかけは、
いつも外側にあるんです。

 

 

もちろん、

依頼をいただくのは

すごくありがたいことです。

 

 

「お願いします」

「お任せします」

と言ってもらえる。

 

 

自分のスキルを

必要としてもらえる。

 


納品して、

喜んでもらえる。

 

 

それももちろん、

すごくうれしいです。

 

 

ただ、
パソコン一台で働けることと
自分で仕事を生み出せることは…

 

 

同じではないのかもしれない。

 

 

そんな感覚が、

少しずつ

残るようになりました。

 

 

場所に縛られない。
時間もある程度、自分で決められる。

 

 

働き方としては、

たしかに自由に見えます。

 

 

しかし…

 


仕事があるかどうか?
何を作るか?
いつまでに作るか?
どんな目的で作るか?

 

 

そういう大事な部分は、
自分ではなく、

依頼の中で決まることが多い。

 

 

それに気づいたとき、
少しだけ静かになりました。

 

 

何のスキルもなかった自分が

動画を作れるように

なったことは、
とっても大きなことでした。

 

 

とは言っても、
「動画が作れる」ってことだけで
ずっと安心できるわけでは

ないのかもしれない。

 

 

パソコンを開けば、

作業はできる。

 


作業に没頭して、
大好きな動画を作るスキルは
どんどん上がっている
し、

 

 

単価も上がった。
収入も、前より増えた。

 

 

それなのに、
なぜか

安心できませんでした。

 

 

この先もずっと、
この働き方を

続けていけるんだろうか。

 

 

そんな不安もありました。

 

 

でも、

それ以上に大きかったのは…

 


自由に働いているつもりで、
結局は
誰かの都合

合わせ続けているだけ

なのかもしれない。

 

 

そう感じてしまったことでした。

 

 

この違和感は、
まだうまく言葉にできません。

 

 

ただ、
「動画を作れるようになったから大丈夫!」

「本気でいい動画を作れるスキルがあるから大丈夫!」
とは、もう

 

 

単純には

思えなくなりました。

 

 

スキルを手に入れたら、
もっと安心できるはず!

 

 

と思っていました。

 

 

でも実際は…

 

 

求めていた

「自由」に近づいたはずなのに
なぜか前より
仕事のことを考える時間は

増えているし、

 

 

収入について

不安を感じることも

 

 

実は…増えました。

 

 

サラリーマン時代よりも

収入が増えているのに…

 

 

です。

 

 

今はまだ、
その違和感を

うまく説明できませんが、

 


パソコンを開けば

仕事が始まると思っていた頃とは、
少しだけ違う場所に

立っている気がします。

 

 

この違和感が残るようになったのは、
これを読んでからでした。

自由な働き方の裏側にある「罠」