前回のブログで平和を求めているわたしがいた。


幼少期の養育環境で暴力を受けたりすると、その子どもは安心感を持って生きにくくなるんじゃないかな。と思った。


今、流行りの引き寄せの法則を幼少期の自分に当てはめてみると、


家にいても私の心の中の世界で安心感がなかったから、


学校でも安心できなくて、


いじめにあって、学校帰りに箒で叩かれた時、


当時は「何でこんなことされなきゃいけないの?何でこんなことが起こるの?何で?何で?」って思っていたけれど、


私の心の中の世界が現実に反映されていて、


引き寄せの法則がはたらいていただけだった。


引き寄せの法則は、時に痛い現実も引き寄せる。


幼少期の私が現実に対してやっていたことは、


なるべく相手を怒らせないように、機嫌をそこねないように私が感じよく笑顔で接するようにすることだった。


「私はあなたを傷つけませんよ」という意味あいと、攻撃されないように自分を守るために笑っていたのかもしれない。


でも、今まで生きてきてわかったことは、私がどんなに感じよく接したとしても、細心の注意を払って発言したとしても、


人が傷つくか傷つかないかは、相手の過去の記憶や経験を持ってして感じることで、私がどうこう出来ることではないらしい。


この世の中は、平和じゃないことが確かにある。


シュタイナーの詩の中の一節が浮かんできた。


 " 平安を求めよ "

 " 平安に向かって努力せよ "


わたしは平和を求めていた。


わたしは平和に向かって、私なりに努力してるつもりだった。


だけど、わたしの心の中の世界が平和じゃないと、わたしの現実は平和にならない。


先ず、わたしはわたしの世界は平和だと決める。


そして、あちらやこちらにある平和じゃないものやことにフォーカスしない努力をする。


平和の世界をつくれることを信じる。


引き寄せの法則はいつでもはたらいているから、


現実を見れば、わたしの心の中の世界がわかる。


平和じゃなかったら、平和に立ちかえればいいだけ。


引き寄せの法則をあーだこーだと言うんじゃなくて、


引き寄せの法則は、自分の心の世界をつくりあげるのに使うもの。