プツンと切れた、と言ったら良いか、はたまたポトリと落ちたと表現できるか。
どちらにしても、その瞬間にダイナミックな音はなく、ほんの些細なほんの日常の隙間にそれは起きた。
無気力
一言で言ってしまうと、そんなあっさりとした言葉にまとまってしまう。
だが、現実にそうなのだ。
その、あっさりとした一言に集約されてしまう自分になってしまったのだ。
毎年昼間からヒートアップしてテレビにかじりついていた甲子園も、人だかりで良く見えないと分かりつつ行ってしまう花火大会も、夕食も音楽も人と話すことも、興味がなくなってしまった。
ついこのあいだまで、私は笑っていた。
笑いながらお酒を飲み、そして気分よくカラオケで歌っていた。
そして、大好きな夏の到来にわくわくして、毎日片手にビールを持っていた。
今思えば、昔からそうだった。キラキラしたものに憧れ、テレビのアイドルの踊りを真似してそれを人に披露してはやっぱりアイドルになりたい!と思ってみたり、素敵な写真を見れば、私も撮りたい!と、張りきってカメラを手放さなかったり、思いっきりくさい青春ドラマを見れば、友達を誘い出して感傷に浸るドライブをしてみたり。
でも、それは全て長続きはせず、その燃え尽きは身体と心を蝕んだ。
友達と別れたあと、一気に押し寄せてくる。しかし私の場合、一時的なものではなかった。
かと言ってズルズルとずっと引きずるわけではなく、その燃え尽きはふとした瞬間に襲ってくるのだ。
走って走って、待ち受けるのはゴールではなく、私の場合、穴だった。
足が掬われるように、ストンと落ちる。
周りからは分からないように、静かにその闇に吸い込まれて行く。誰も気づかない。
気づかないでくれ、と思う自分と、誰か助けてと泣き出したい自分とがいて、大抵最後は一人でその闇に座り込むことで燃え尽きる。
助けを求めていたはずの自分が、いきなり穴に蓋をし、誰も入れなくする。
でも気づいた。
その蓋をも開けて、こっちにおいで、と手を差し伸べてくれる人を自分は待っていただけなんだ、と。
打っては消して、
書いては消して、
結局自分が何を伝えたいのか
誰に聞いて欲しいのか
真っ白になった画面も
白紙になったただの紙きれも
なにも教えてくれなかった。
言葉は時に刃になる。
だから話したくないだけ。
自分の周りの人を思うほど、
簡単にものを言えなくなる。
私は今までどれだけやすやすと
言葉を使ってきたんだろう。
自分の思いは時に、誰かを悩ませ、気持ちを狂わせる。
言って傷つけるより、何故言ってくれないの、と嘆かれたほうが何倍もいい。
あとになって分かる。
声にならなかった叫びは、発信しようとした者のところにのみ、残る。
伝わってこなかった言葉は、受け取ろうとした者の心には残らない。
でも、そうは言っても、吐き出したい思いはたくさんある。
口に出さなきゃ自分すら分からない言葉がある。
だから、私は白い人のところに行く。
私の名前と誕生日を初めて知るような、第三者の白い人。
聞いてもらいたい。