昨日大学の同じクラスにいたN氏より恩師中本先生の訃報の連絡あり。私は本当にお世話になっていたので その驚きと 悲しみは計り知れないものがある。以下 先生のついての思い出をまとまりのないまま書き連ね追悼のブログにしてみたい
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先生との出会いは1980年調和55年秋私たちが教養課程を終え 哲学コースに入った時で 善の研究 精神現象学 そして論理学を教えて頂いた
先生が当初の私についての印象としては 初日から教室を間違え
自己紹介の代わりに 遅れた理由を延々と語っていたので「ひょっとしてやばいのが入ってきたのかも」と思い私を避けていたらしい
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西田幾多郎の善の研究の授業でいきなりだめ出しした私をちゃんと受け入れてくれた、
決して「新米の若造が生意気だ」という態度は取られなかった
そして学期末のレポートを書いた時前半は授業に従ったものを従順にまとめ 後半いきなり授業内容の批判をおっぱじめた、しばらくして用事があって先生の研究室に行ったとき
「君のレポートだがね」と切り出してきたので「やばっ さすがにおこられるわな」と思ってたら「あれ面白いよ これからも研究するといいよ。協力するから」とおっしゃってくれた」なんてスケールの大きい人だろう」と感服した
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西田幾多郎記念館に行ったとき 向かう電車を待っていたとき「あそこにきれいなギャルがいるよ」と先生がおっしゃったのであわててあちきちさがしてたらその様子をパチリああやられたと大笑い
記念館についてから 西田幾多郎が使ってた机があり、先生が
「その机にある椅子に座るようン¥おっしゃったので座ったら
また一枚パシャリ 「西田幾多郎に似ておるよ」と満足気のご様子
女子たちが作ってくれた昼食を食べていた時T氏が 自分の寝ていた布団が電気ストーブで燃えた話したら先生が ゆで卵作ろうとして放置してたら たまごがば爆発したはなしをしてくれた 実に楽しい電車遠足であった
2度目は私が専攻科にいた時印象に残っているのは帰りの電車の切符を私がなくした時の先生の反応 あきれつつも一緒にいた女の子に「こういうのって母性本能くすられたりしない?」とナイスフォロー 感謝感謝でございます
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先生の提案で 授業なしにし お花見にも行ったことがある
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4年生の2月 「中村雄二郎という人がすばらしい論文書いてるよ」と言われよんだのがいわなみの雑誌 思想 にのっていた「問題群としての西田哲学」
新鮮な切り口で書かれた文章であった
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私が卒業して地元かえにる何日か前 茶封筒が手渡された
後で見たら京都大学の雑誌「哲学研究」だったかな その中の にしだきたろうにかんするのも田度が入っていたもちろんちゃんと全部読んだ
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現象学専門の木下先生の膝に戯れに横たわって「ピエタ」といっていたことがある、
勿論それはキリストの死体を抱く聖母マリアの像であるが「ピエタになっていない」という指摘はどこ吹く風先生に写真を撮ってもらいました。その写真はしばらく哲学演習室の黒板に飾られることになる、そして私が卒業した後もしばらく「ピエタ」は飾られもういいだろうと外そうとした学生に「はずずな」といったそうな
ありがたいなあ その学生はえらい迷惑だっただろうけど
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先生の何回か お邪魔したことがある、そこで目にしたのは先生のお子さんの描いた絵とホットカーペットでたわむれる兄妹 そのうちに一人が私の父ががんになったときお世話になることになる、その人が直接治療したという事ではなく相談に乗っていただき
担当の先生を決めていただいたりした
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私が在籍した時のテキスト 善の研究 精神現象学
言語と行為 オースチン プラグマティズム ウイリアムジエームス
知覚と発見科学的探究の論理 ハンソン 時と永遠 波多野誠一
こんなとこかな その後先生はニーチェや ハイデガーの講義もなさっていたとか受けたかったなあ
今思いついたのはこんなとこであるまだまだあるはずだけれどいいまはとりあえずこんなとこであろう