ハンセン病の資料館に行ってから、気になっていろいろ調べてみました。
「ハンセン病制圧活動サイト」というサイトに掲載されているインタビューを読んで、患者さんの人生も実にいろいろなんだなあと知りました。
療養所の雰囲気もいろいろ。だからといって、苦労してない患者さんもいる、ということではなく、みんながまったく同じ経験をしていると思うのも間違いのようです。
藤原登喜夫さんという入所者の方が、バックパックしょって世界放浪したという見出しに惹かれて読みました。
9歳で発症して、昭和20年、12歳から療養所に入っていたそうです。1941年(昭和16年)に薬ができてから、ハンセン病は治る病気になった。ただ、回復しても後遺症があり、とりわけ手足や顔の変形が残ってしまう。
インタビューでははっきりとはわからなかったけれど、藤原さんも回復はしたのかな。でもやはり変形から病歴がわかってしまう。
強制隔離は続いていたけれど、回復者は外に出られた、ということだと思う。藤原さんは病院外の友人の誘いで、思い切ってハワイに行く。それから韓国、インド、ネパール、タイ、マレーシア、などに、リュックしょって出かけていった。病後とは思えない行動力。
彼はらい菌に感染して発症したというだけで、ひとりの個性ある人間なのだ。当たり前なのだけど、ハッとした。
藤原さんは、特にインドやネパールで同じハンセン病患者と、はからずして出会い続ける。
物乞いをする患者にも遭遇する。患者だけじゃない。見た目から病気を疑われて、声をかけられる。彼の地でも差別は激しい。
ある時には、薬で回復して旅行しているのだと話したら、実は祖母がハンセン病で、いい薬があるなら助けてほしいと泣きながら訴えられたこともあったそう。
読んだ感じでは、ふつうに街を歩いていてこうした出来事に遭遇しているよう。いつ頃の話かはわかりませんが、わたしがインド・ネパールを旅行した30年前も、現地のハンセン病患者に何度もすれ違っていたのかもしれません。見えない人には見えない。
世界の患者の分布図を見ると、インドが飛びぬけて多いですね。
こうした出会いで、日本にいる自分は恵まれていると話す藤原さん。すごい人生だなと思う。