アーユルヴェーダ講座のランチ会で、「50代からはスピリチュアルに生きる」という話を聞いたことを、昨日投稿しました。

考えてみたらこれは、ヒンドゥー教でいう「四住期」の話ですね。

①学生期(がくしょうき)8~25歳くらい
②家住期(かじゅうき)25歳~50歳くらい
③林住期(りんじゅうき)50歳~75歳くらい
④遊行期(ゆぎょうき)75歳以降

50代からの林住期は、家庭を育み社会に貢献する家住期を終え、それまでに得たすべて捨て、家族から離れて、内面をみつめ、内面的な成熟を目指す時期、とされています。

ちょうど家族も仕事もない今のわたしは、期せずして林住期の環境に入り、だけども家住期の生き方を模索していた、のかもしれない。終わったものは終わった。その時期に達成しなかったことを悔いたり、目指し続けたりしても、せんないこと。
家庭を捨て仕事を捨て、なんて、なかなかできない。自分はある意味では、向こう側にいく条件が整ってるとも言えます。


ヒンドゥーの教えを受け入れるならば、ですが。

 

(林住期にふさわしそうな住処…これはこの間お出かけした飯能。アマゾンの配達届ならいいかもとか、コンビニないなあとか、やっぱり都会に住みたいなあとか、思ってたのだった)

 


ちょうど、いま学びたいこともスピリチュアルな方に向いてます。
まだ稼がなきゃならないのに。
仕事もやり切ってないのに。
だから現実に目を向けて行動しなくちゃいけない。
でも興味が消えたなあ。
と頭の中グルグルしてた。

もう、そっちじゃなくあっちに行っちゃっていいんだと思えば、ラクだ。ただし、学びたいというのも自分の場合は「欲」のひとつの気もする。そして、ほかにもお金で買いたい欲はいくらでもある。

林住期は「欲がなく、所有することない状態で」ともあります。林住しながら欲だけ手に入れるのは……無理かな。

人生100年時代、長い「老後」のために資金もたくさん必要、と考えると、家住期が長引かざるを得ないかもしれません。

世俗から離れるなら、放浪してしまうのもいいなと思ったのですが、それは75歳以降の遊行期にやることらしいです。修業のひとつとして。人生ずっと修業です。

ひとりで考えていて答えが出るわけではない。
師につき、書を読み、瞑想すること。

 

となるとそれはすでに林住期の学びといえるかもしれない。それも喜びではある。

ま、明日は全然違うことを言ってるかもしれません。