昨日のアーユルヴェーダの集まりでは、講師のアカリ・リッピーさんから心に残るお話をたくさん聴かせてもらいました。

 

 

そのなかのひとつ、50代からの生き方について。

なんとなく言いづらいのですが、わたしは50代を越えてから、きれいさっぱり、異性への関心がなくなりました。

8年前に離婚してからも、ずっと付き合う人が絶えなかった。気分的にはメスと言うかハンターというか、ごく自然に当たり前に誰かと付き合っていた。80歳でも90歳でもずっとこうやっていくんだろうと思っていた。

それが、ぱったり。

最後に付き合った人と別れて3年くらい経ちますが、付き合ってる人がいないことも忘れてるくらい。自分に異性への関心がなくなったのと同時に、誰からも言い寄られなくなった。まったく同時だった。

さみしいとは全然思わないけれど、女性として枯れていく感覚や、容姿がカサカサになってく感じはさみしい。

50代でも60代でも女性らしさが溢れてて、色気もある人、新たなパートナーと出会う人、まわりにたくさんいる。だから年齢だけの問題じゃなさそう。

それをどう捉えていいのか…。

アーユルヴェーダではホルモンの変化に対応する智慧もある。だから、そんな思いを聞いてもらいました。
 

 

(アカリさんと。アカリさんからアーユルヴェーダを学んで、世界が大きく変わって見えます。これからもっともっと学びますよ)

 



すると、アーユルヴェーダだったか『バガヴァッド・ギーター』だったか、早くもうろ覚えですが、50代からはスピリチュアルに生きるフェーズだと言われている、というようなことを教えていただきました(言葉も早くもうろ覚え)。


※『バガヴァッド・ギーター』は紀元前に著されたヒンドゥー教の聖典のひとつで、訳すと「神の詩」という意味。ヨガの経典とも呼ばれているようです。

すぐには腑に落ちませんでしたが、いろいろ伺っているうちにすとんと納得できた。
そうか、そっちに行ってしまってもいいのか。

華やかに咲き続ける周囲の同年代や年上の女性たちに囲まれて、まだがんばらないとな、と思っていた。でも、違うフェーズに入っていい。それこそ出家しちゃったっていい。もちろんシャバでもがき続けるのもありだし、ともかくなににも囚われなくていいのだ。

そう思うと、また自分のなかの常識の壁が壊れて、ラクになりました。
「囚われがない/捉われがない」境地は清々しく、自由だ。

具体的な変化があるわけではまだありませんが、心のなかは大きく動きました。