僕とフットボールといえことで、今日は中学や高校の時のことを振り返っていきたいなと思います。




僕は、地域の小学校からそのまま、地域の中学校に入学しました。

少年サッカークラブの仲間がほとんど一緒でした。




意気揚々と中学でもみんなでサッカーを続けようと思っていました。




しかし、中学校にサッカー部がありませんでした。





その当時、中学校から説明された理由としては、顧問をできる先生が足りない。グラウンドが広くないため、他の部活動と巨蝦夷んできない。また、生徒数が少ない。このような理由で、サッカー部がありませんでした。




それでも納得できない僕たちはなんとかサッカー部を設立しようと試みましたが、学校の規則という壁にに跳ね返されました。




悩みに悩んだ月マガ、特に仲が良かったご近所のK君と左利きのM君と、野球部に入ることにしました。




野球部の3年間では、基礎体力や上下関係、何より仲間との思い出が沢山できました。





野球に打ち込んでましたが、中学校での3年間、全くフットボールとつながりがなくなったわけではありませんでした。




幼稚園が一緒で小学校は別々でしたが、再び中学校で一緒になったW君、W君は大人になった今はプロのギターリストになっていて、面白かっこよくなってます。

そんなW君のお父さんやその世代の方々を中心に月2回くらい、中学校のグラウンドてわ週末の夜にフットサルが開催されてました。




フットボールとのつながりは、W君のパパや地域のお父さんたちやお兄さんたちとボールを蹴って繋がってました。20代前半くらいまで繋がっていたのかなと思います。





ここで考えたいことは、地域におけるフットボールの参加しやすさです。





地域には、スポーツ施設や学校施設などフットボールができる場所があります。





ボールがあれば、W君のパパ世代や大学生や高校生、あの頃の僕のような中学生、W君の弟は小学生で参加してました。




つまり、フットボールは世代を超えて地域でコミュニケーションを図るツールになるということが、振り返ることで実感しました。




もし、中学生の僕が、弱視だったとして、ロービジョンフットサルをしていたとして、W君のパパやお兄さんたちは、「ともくんが一緒にやるならどうやったら一緒にできるかな?」ときっと、みんなとフットボールを楽しむための工夫を一緒に考えてくれていただろうなと思います。





今の社会で、弱視の子どもだったらかわ地域でフットボールを楽しむ環境はあるのだろうか。




もちろん、視覚障害のある人たちにはブラインドサッカーという選択肢もある。




しかしながら、地域社会で日常的に実施するには音のなるボールやアイマスクや選手をサポートするマンパワーなど、準備するものが多すぎる気がします。

地域社会で日常的に行うには、コストを考えると高いように感じます。






これから先の社会において、視覚障害のある子どもたちや大人が、ブラインドサッカーやロービジョンフットサルを選択できるようなフットボール文化を日本で醸成していきたいと考えました。





来月からの、ダスキン障害者リーダー育成海外研修において、ロンドンやマンチェスターで、視覚障害のある人たちは、フットボールとどのような関係をらきずいてあるのだろうかを学びたいなと思います。





イギリスと日本の違いを踏まえて、日本独自のフットボール文化のヒントを見つけたいと思います。





あっ、今日は日韓ワールドカップのところまでブログを書くつもりだったのに、中学校で膨らんでしまった。

明日、高校生の僕とフットボール、2002年日韓ワールドカップについて書きたいなと思います。