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クリエイトブックス

本を出版したい人を応援しています!ブッククリエイターのオカビーによる「本」と「人」と「自然」との出会い

竹芝桟橋から8時間。太平洋の真ん中に小さな島があります。
周囲わずか16キロ。漁船で30分もあれば一周できてしまいます。
島民は300人しかいないので、みんな知り合いで、外から来た人はすぐに分かります。

今この島は、エコツアーのできる島として注目されています。

都内で一番大きなスダジイが生える島。
日本最大のオオミズナギドリのコロニーがある島。
そして、世界一イルカに会う確率が高い島。

島の名前は「御蔵島(みくらじま)」といいます。

伊豆諸島の真ん中に位置し、大都会東京から200キロ離れていますが、これでも東京都の住所なのがおもしろいところです。

去年の海の日に初めて行って以来、僕はすっかりこの島の魅力に取り付かれてしまいました。

海がきれい
森が深い
生きものたちの息吹が濃い
そして人があたたかい

もちろん、水も空気もきれいで、食べ物もおいしい!

釣り人や自然好きにはたまらない環境でしょう。

なぜ僕がこの島に行くことにしたのかというと、イルカと泳ぐためです。

世界各地にイルカと出会えるポイントがありますが、餌付けされていたり、逆に洋上を一週間旅しても一回見られるかどうかだったり。自然状態のイルカといつでも出会えるポイントはほとんどないと行ってもいいでしょう。世界を旅してイルカの写真集も出している写真家の吉野雄輔氏によると、この島は世界で一番イルカに会う確率が高い島なのだそうです。

これから何回かに分けて、この島の魅力とそこでであったこと、感じたことを綴っていきたいと思います。


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島に着くまでに、船上から撮った写真の一枚。
前線が発達している様が見事でしょ。

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ぼくが「お椀島」と呼ぶわけが分かって
いただけると思います。
「心理的な抵抗感はわかった。でも、そんなに簡単に乗り越えられないよ」
「これまでいろんなワークやセミナーに参加したけど、結果が出せない」
「出版はプロがやることで、自分は関係ない」

そんな声をこれまでたくさん聞いてきました。

僕は普段、プロの作家や書き慣れたライターを相手に仕事をしているので、実は最初、多くの方のそういった声にうまく対応することができませんでした。でも、何回かセミナー開催を重ねているうちに、何がその壁になっているのか、心の反応や抵抗感の背景をゆっくり見ていくことができるようになってきました。

そういった経験を通じて、ここまでの文章を綴ってみました。
抵抗感を説くための方法は、実はたくさんあったりします。

 ○○メソッド、○○法、○○スクール、○○ヒーリング……

僕自身、そういったいくつかのワークやセッションに参加して、実際に体験することで、そのパワフルなメソッドの恩恵を受けてきた一人です。

でも、こと文章を書くというシンプルで誰にでも体験があることであれば、実はもっと簡単な方法があります。

それは、書きたいご本人の「本当の心」をいくつかのワークで思い出してもらいながら、実際にグループワークやライティングをすることなのです。なによりも「実際に手を動かすこと」「作業を通じて、自分を発見する」「気のあった仲間といっしょに、クリエイティブな場を楽しむ」といったことが、「誰でも作家になる」ために絶対に欠かせないことだ、ということを僕は発見しました。

書くためのワークができるセミナー、実践的なワークショップは、実はあまりありません。時間的なこともあって、概要だけ伝えたあとは「後は各自ご自宅で」という構成にならざるを得ないのかもしれません。

そこで、僕自身の編集者としての経験と、数々のセミナー参加&主催経験、そして「恐れ」や「不安」と向き合った経験を統合して、オリジナルのセミナーを開催することにしました。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

これまでも不定期ながら「出版セミナー」を開催してきましたが、参加者の多くが友人だったり、友人の主催している集まりに呼ばれたりで、なかなかオープンに開いてはこれませんでした。

理由のひとつには、コンテンツを育てるため。
もうひとつは、心理的な抵抗感から自由になれていなかったから。

ひとつ目の理由は、友人たちを相手に実験しているようなところもあり、フィードバックをいただきながら、だいぶ形になってきました。スタディーグループを定期的に開催していることもあり、場の作り方にもなじんできました。

もうひとつの心理的な抵抗感、心理的な壁の方はなかなか大きなものがありました。内容的には自信があったので、自分でも意外なほどです。友人から「やろうよ」とか「手伝うよ」と言ってもらっても、なんとなく曖昧にしてしまったり……。集客の自信がないとか、時間をうまく配分できるだろうかとか、参加者の結果が出なかったら良くないんじゃないかとか……思いっきり逡巡していました。

でも、いつまでもこんな状態を続けるのも、そろそろ卒業しよう!と思い、これからは定期的に開催することにしました。

まだ準備中で内容も固まっていませんが、日程だけは決めました。

11月23日と12月12日のそれぞれで開催します。

詳細はまた追ってお知らせいたしますが、内容的には「本を出すための8つのステップ」「なによりも最初にやっておきたいこと」そして、「ミニワーク&シェア」という構成です。

今後は4回の連続セミナーを予定していますが、第1回目のみなさんの反応を見せていただきながら、誰もが無理なく、自然に前に進めることができるようプログラムを考えていますので、ぜひお楽しみにしていてください。

またなにか質問や知りたいこと、リクエスト等あれば、ぜひブログのコメント欄にでも書き込みをお願いいたします。

それでは、11月23日、12月12日、タイミングが合う方とはお会いしましょう!
自分が書いた文章を人に読まれる形にまとめあげる嬉しさ、そして「想い」が伝わったときの感動。
作家になることの喜びには、いろんなものがあります。なによりも、自分はこんなことを考えていたのだという「自己発見」とでもいうものがあるのがおもしろい。

少し時間をあけて読み返してみると、「ヘー、こんなことを考えていたんだ」とか、「良く書いてあるなー(我ながら)」など、第三者的に自分の文章を楽しめたときなど、くすぐったい様な、不思議な気持ちになるものです。

その一方で、自分のために書いた文章を、ごく身近な人に見せるときでさえ、少なからず躊躇した経験がある人も多いでしょう。すごく正直な気持ちだったり、まだ誰にも話したことがない内容だったりしたらなおさらです。ただでさえ気持ちを打ち明けたり、本当の自分を見せることには勇気が必要なこともあります。それが後々まで残る「文章」という形にするのですから、たとえ身近な人が相手であったとしても、どんな反応が返ってくるか想像できないものです。

そういうときに「恐れ」や「不安」を感じることがあります。
でも、それでいいんです。

むしろ、自分のなかにある「恐れ」や「不安」を否定したり、「大したことじゃないんだから」と思うことの方が問題かもしれません。「恐れることを恐れない」「不安の感情のなかに飛び込む」ことで、飛び込んだプールの底で思い切り足を蹴って、水面よりも高く飛び出せる──。そんなイメージを持ってみてはどうでしょうか。

恐れている自分もOK。ワクワクしている自分ももちろんOK。感情が揺れ動いている自分に気づいたら、「あ、まだこんなに感情が動いているんだ」とそのまま受け留めてあげてください。だたそれだけで、少しの時間のあとには、前よりも深いところまで根が生えたような、あるいは自分という幹がよりしっかりとしてきたような、そんな感覚が得られるでしょう。

どうして、こんなに「不安」や「恐れ」を語っているかというと、実は「書けない」「まとまらない」「書き出せない」という人の多くが、この恐れや不安と向き合うことを避けていることが多いからです。

かくいう僕も、書けるときより書けないときの方が多く、焦ったり、気を散らしてしまったりしています。そんなときは、書けないこと、不安を感じていることをそのまま書いてしまいます。それでも書けないときには、自分にいくつか質問を投げかけます。

 これが終わったら何がしたい?
 誰が一番、喜んでくれそう?
 今、時間もお金も無制限にあったら何がしたい?

自分以外の誰かからそんな投げかけがあったとして、その問いに答えていくつもりで書いてみるのです。この方法は、かなり実用的ですので、一度試してみてください。そして、このQ&A方式がそのまま第3者にとっても意味がある、分かりやすい文章に育っていったりするのです。
前回は、作文や書くことへの抵抗感がどこから来るのかという話をしました。もっとはっきりいうと、「恐れ」です。

「恐れ」は実は誰にでもあります。

ポジティブな人は、恐れを感じたくないから頑張ってポジティブ指向になっているといえますし、ネガティブな人は、恐れを感じすぎるほど感じていて、敏感になっているともいえます。
両者は正反対の反応や行動をとりますが、実は同じことを感じているともいえるのです。

なんでも自分で問題解決してしまうような「自立的」な人がいる一方、自分で解決できそうなことでも「分からない」とか「できない」という感情にとらわれてしまう「依存的」な人もいます。これはどちらが良い、悪いという話ではなく、人は往々にして、自立的になり過ぎたり、逆に依存的になり過ぎたりして、うまくバランスが取れないことがあるという考え方です。あるいは超ポジティブで人の痛みが理解できなかったり、超ネガティブで世の中すべてが真っ暗闇に思えたり、ダメだしをしたくなることもあったりします。

これは本田健さんから教わった「感情の力学」というもので、以前、このブログでも一部紹介しましたね。僕がこのことをセミナーで初めて聴いたとき、ポジティブvsネガティブにしても、自立vs依存にしても、どちらも何かを恐れていることが背景にあると知り、とても驚きました。

 不安
  無価値感
   恐れ
    悲しみ
     怯え
      寂しさ
       苦しさ……

逆に考えると、どんな人にもネガティブな感情はあるといえます。

ぼくはいろんな人の顔を思い浮かべてみました。元気に振る舞う人、存在感を消している人。表面的には全く異なっていますが、背景には同じような「恐れ」があったのです。そのことを考えると、僕はとてつもなく深い悲しみに襲われました。絶望にも似た思いでした。セミナールームから抜け出して、しばらく表通りでぼーっとしていました。

でも、それではあんまりだと思い、後で健に質問してみたのです。すると、

「人はそういった感情を抱えて生きている」
「恐れは解消されるものではない」

と追い打ちをかけるような答えが。それじゃ、ジャンポルスキーの本(『愛とは恐れを手ばなすこと』)はウソだったのですか?
と問うと、

「恐れを抱きしめよう」

というのが健の答えでした。そこまで聞いて、ようやく腹に落ちて、少なくともこの「人間は恐れとともにある」という考えを受け入れることができました。まだまだ良く分かりませんし、実際に数多くの苦い経験や気づきを重ねていくなかで身に付いていくものなのでしょうが、やたら絶望する必要はないのかもしれない、と思えたことで、だいぶ心が軽くなりました。


なにかの本で読んだり、友人たちの口からも聞かされた「恐れ対処法」があります。それは、

「恐れの感情のなかに(あえて)飛び込もう」

というもの。思いっきり怖がってしまう、その最も恐れている状況をありありと心に思い浮かべるというワークです。たとえば、書いたものが誰にも受け入れられない、ムシされる、非難される、攻撃される、苦情の電話がじゃんじゃんかかってくる、ブログが炎上する……。

さんざん怖い思いを想像し、でもそこからは逃げない。泣いてもいいし、「もうやめる!」と宣言してもいい。あえてその「最悪の状況」のなかに身を浸してみるのです。しばらくそうやっていると、ふと付き物が落ちる様に恐れから解放されて楽になるのだそうです。

実はまだ、僕にはこれがうまくできないのですが、そういう方法もある、ということだけお知らせして今日のところは終えたいと思います。
国語の授業、覚えていますか?
作文の授業って楽しかったですか?

僕は読書は大好きでしたが、作文はあまり好きではありませんでした。
ただ、新聞を隅々まで読むようなませた子どもだったので、自分なりに感じたり、考えたりすることは大好きでした。

僕が作文の授業で良く覚えていることがあります。

ある課題が出されて、僕はそのなかで自分の印象、感じたこと、そして普段考えていることを綴りました。その内容自体はあまり覚えていません。ただ自分のそのときの頭を占めていた考えを、紙の上に落とし、誰かに伝えたかったのです。

授業ですから、評価が下ります。僕は自説に自信がありました。内容はともかく、自分で考えたことを伝えたということに自信があったのです。でも評価はいいものとは言えませんでした。先生の共感を得なかったのです。

そして先生の反応を見て思いました。
どうしたら評価が得られるのだろう?

そして次の作文の機会で、僕がやったこと。それは、どこかで仕入れた知識を紙の上に落とすことでした。書いた内容は「日本人は、さまざまな由来の技術や知識を吸収し、統合するのが(歴史的に)得意だ。」そんな内容でした。

僕はその説に自信があった訳でも、自分のなかに落とし込まれた経験もまったくありません。ただ、新聞や本かなにかで得た知識を披露することで、作文の評価があがるだろうと思ったのです。それも戦略的というより、むしろ大人の良い反応を期待する子どもの自然な態度として。

先生の評価は簡単に覆りました。「大変良くできました」そのハンコの後に、2、3行の赤字で先生の共感が得られたこと、それゆえ評価が得られたことが伝わる文章が続いていたのです。

僕の印象は、全くつまらないものでした。
こうすればこうなるだろう、という期待どおりの反応でしたが。
そして、教師が代表する「大人」が何を求めているのかがはっきりしたのです。
それは、僕自身が感じたり考えたことではなく、周りの大人=社会が認めたことを評価するという態度です。

これは単に、僕個人の小さなひとつの体験に過ぎないかもしれません。

でもきっと、そう違わない授業やテストが、日本中で熱心に行なわれていることは容易に想像できます。
子どもの想像力や創造性ではなく、テストに受かる、企業に入れることを「教育」全体が目指している訳ですから、それも無理からぬことかもしれません。そもそも最高学府のひとつ国立大学は、官僚機構を支える人物を選抜し、育てることを目的につくられました。その筆頭が東京大学であり、地方の国立大学です。決められた枠組みのなかで、決められた法律と手順を踏んで国をまわしていくことは、国の運営上欠かせません(法治国家の原則)。そこに創造性を入り込ませる余地は、ごく限られた政策立案者でもない限りあまりないでしょう。

それでも時代が変わり、個人の表現の自由や考える力、生きる力が尊重される新しい流れが産まれ、今の学習指導要領にも明記されています。でも、実際に親たち教師たちが望む教育とその周辺の受験産業の実態は、以前とそうは変わっていません。

本当に残念なのは、国語が、作文の時間が、大人の考えた範囲で狭められ評価されているという事実。
決められた課題をこなすことが、正しいとされている既存の価値観を習得することが、自分で感じ、考え、人に伝える能力よりも優先されているという事実です。

こんなことを言うと、学校関係者には、とてつもなく過分なトライだと感じられるかもしれませんね。今の教育の枠組みのなかで、これまで以上に教育現場での仕事量が増え、寛容さが失われている社会のなかで、できることはごく限られていることもわかります。でも僕は、別にむずかしいことを要求している訳でもなんでもないのです。すべての人間が生まれながらに持っている「本来の力」「本当の力」を上手に引き出してあげるのが「教育」じゃないか、というシンプルなことを言っているのに過ぎないのです。

前ふりが長くなりました。

僕が伝えたいこと。それは、既成概念と制限要因と既知の価値観という三重の縛りにガチガチに固められたなかで、僕らの書く能力、表現する力はおとしめられ、発展する力を失ってきたということ。そのうえで、だから今こそ本来のクリエイティビティーを取り戻し、育むことが、すべての人にとってとても大切だということです。

人が本来持つ力を思い出すことであればなんでもいいのですが、たまたまぼくは書くことが好きで、その可能性をとても大きいと感じています。歌でも踊りでもいいんです。陶芸や絵でもいいのですが、

言葉→考える→書く→伝える

という作業を通じて、誰もが表現者になって、自分の考えを発見し、感じたことを上手に伝えられたときの喜びを味わってもらえれば、幼少期に強いられた枠組みを壊し、怖れを乗り越えていけるだろうと確信しています。そして同時に、クリエイティビティーにフタをしてきた根本の原因(のひとつ)を溶かしていきたいという僕自身の決意表明でもあるのです。