奈良 まぃまぃ ② 戒壇堂 | azukiのブログ

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東大寺の鐘楼(しょうろう)は大仏殿と先程の法華堂の中間地点にあります。

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合格 東大寺の国宝・梵鐘 (名前:奈良太郎)
重量 :   26.3トン「日本三名鐘」
「形の平等院、声の園城寺、勢いの東大寺」と称えられ、鐘の音の余韻が長く続くことで知られているそうです。

此方で御朱印が頂けるようです。





移動します。 




合格 東大寺・指図堂
本尊 : 法然上人絵図


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指図堂は大仏殿の西隣に在ります。


この指図堂は、もともと大きな板絵に描かれた「指図」(大仏殿の計画図面)を収めていたお堂です。

大仏殿復興後に大風で倒壊したものの、浄土宗徒の願いにより法然上人ゆかりの霊場として再建建された。

華厳宗総本山の東大寺にあるお堂ですが、法然上人(圓光大師)二十五霊場(浄土宗)です。

鎌倉時代の大仏復興に携わった重源は、この法然上人に推挙されて勧進職に就いた。






興福寺の塔が見えます。

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※来迎形式の阿弥陀三尊像(江戸時代)
阿弥陀如来・脇侍の観音・勢至菩薩が前傾姿勢が特徴的です。
(フラッシュ無しで撮影です。)





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この厨子には、お釈迦様が修行されたという霊鷲山(✴︎りょうじゅせん)が描かれています。

✴︎この山のかたちが、空に斜めに突き出すようになっている。頂上部が平らになっていてハゲワシの首から上の部分(頭)によく似た形をしているので、名づけられたと言われている。
また、山上に霊鷲が多いために名づけられたとの説もある。和語では「わしのみ山」ともいう。


ちなみにこの厨子には、釈迦如来坐像(重文)が安置されていたそうです。
奈良国立博物館に寄託されましたが、東大寺ミュージアムへ移されたとのことです。





次は、東大寺・戒壇堂(かいだんどう) 

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合格 国宝・四天王立像が安置されています。

※指図堂のあった中門堂に安置されていたそうです。

 

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(写真はお借りしました。)

奈良時代の塑像の最高傑作。

「国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ)の作」と書かれている。


※髪の毛やブーツは中国がモデル・邪鬼の表現が見事・風が無いが力強く立たせている。目は瑪瑙(メノウ)






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南から、時計回りに「じ、ぞう、こう、た」と覚えます
持国天、増長天、広目天、多聞天です。
配置の前は動・後ろは静の対比。

北方を守護する多聞天(毘沙門天)は塔を掌に乗せていることが多い。



 

※ 唐僧鑑真は(がんじん・奈良時代の帰化僧・日本における律宗の開祖である。)

東大寺に戒壇院を設立し大僧正となる。

また、来日した際に大佛殿の前に戒壇を築いて戒を授けたそうです。


 

※戒壇とは受戒を行う場所、いわば僧侶になるための儀式を行う奈良時代の聖地だった。

 

当時は、ここで僧侶の資格を取らなければ正式な僧侶として認めてもらえなかった。(遣唐使は位をもらわないと行けない。)


その後分社として太宰府、下野薬師寺にも戒壇堂が造られていった。 




 御朱印


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