奈良・まぃまぃ ② 法華堂 | azukiのブログ

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まぃまぃ2回目 次は法華堂(3月堂)へ 




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※聖武天皇は疫病や社会不安から国を鎮護するための国家的大事業として東大寺を建立していましたが、天皇が沢山の費用を使って仏教寺院を建立すれば、貴族から反対の意見が出るかもしれません。

そんな心配のある時に、宇佐の八幡神から「われ天神地祇(てんしんちぎ)を率い、必ず成し奉る。銅の湯を水となし、わが身を草木に交えて障ることなくなさん」という協力の託宣が出されました。

八幡神は天の神、地の神を率いて、わが身をなげうって協力し、東大寺の建立を必ず成功させるということ。

大仏に塗る金が不足すると、必ず国内より出るという託宣を出し、やがて陸奥国から金が献上されてきました。

東大寺が完成すると東大寺を護る神として、寺の近くに手向山(たむけやま)八幡が分霊(分社第一号)として祀られました。

※『神輿』発祥


明治の神仏分離によって東大寺から独立。御神体の「僧形八幡神坐像」(国宝・快慶作)は、東大寺の八幡殿に安置されている。

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(快慶展HPより)



お水取りの二月堂は今回のコースには無いのですが  此方なんですね〜 

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合格 東大寺・法華堂 

メモ 2回の大きな火災から奇跡的に免れた。
奈良時代の建築様式が残る数少ない建物(国宝に指定されいます。)

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右側 : 礼堂(鎌倉時代)
左側 : 正堂(奈良時代)
※東大寺の前身・金鐘寺(きんしょうじ)は聖武天皇と光明皇后の第一子の男の子を弔う菩提寺として建てられた。



法華堂チケット
(右側の建物は後から造られた。)

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合格 本尊 : 不空羂索観音立像 
(ふくうけんさくかんのん りつぞう)  
362m・三目八臂 ・脱活  乾漆像 
※「心念不空の索をもってあらゆる衆生をもれなく救済する観音」を意味する。


右側 : 梵天    左側 : 帝釈天

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(写真はお借りしました。)
ご本尊が安置されている須弥壇(しゅみだん)に使用されているヒノキ材が「729年(天平元年)に伐採」という事実が判明。





※ 世界三代宝冠 目
宝冠の装飾(真珠、水晶、琥珀、翡翠、瑠璃など)
銀製・透し彫り・高さ88cm。


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(写真はお借りしました。肉眼では見えにくいです。)




※三目・羂索を持つ左手(下から2つ目の手にある縄を使い人々の苦しみを取り去る。)・合掌の手にある水晶  目

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(動画よりお借りしました。水晶は頑張れば見えます。)




※秘仏の8執金剛神立像(しゅこんごうしんりゅうぞう)は1年に1日のみ、良弁が亡くなった12/16に開帳される。





よくわかる動画 映画 (8分程あり)






御朱印

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不空羂索観音様に逢えて嬉しい 

つづく。