【職場の人間関係について】
昨日このブログの目次を作りながら、過去を振り返ってみた。今後の人生のために少し読み返していると、いくつか気になる『キーワード』が目についた。
それは、『職場の人間関係』という言葉。
私は前の職場で「ここで定年まで働くんだろうな」と思っていた。しかし無理をしすぎた結果、物をつかむのすら困難になり、本当に突然仕事を辞めざるを得なくなった。
人生の中で一番長く続いた職場だったが、その一番の理由は「人間関係」が良かったから。そして最近、働き始めた新しい職場に対しても「人間関係や雰囲気がいいこと」を強く望み、実際にそれはかなっている。
すごくラッキーに思える反面、なぜ自分がこのキーワードにここまで固執しているのかが引っかかった。
「人間関係」さえ良ければ、過酷な労働条件(休日が少ない/ギリギリの低賃金)でもOKなのか、それは心と身体が壊れていっても仕方がないほどの代償だったのか。
何か「トリック」に引っかかっているような気分になった。
【職場での苦痛な人間関係とは?(1)】
逆に「人間関係」が悪い職場とはどんな感じなのか?
いくつか例を挙げてみよう。
まずは別の部署からの報告や、知人の体験談を合わせた例から。
女性が大人数で働く職場では「派閥」みたいなものができる傾向がある。最も力のあるグループのボスが、新人をあからさまにいじめる。耐えきれずにすぐに辞めてしまうため、常に求人募集を出している。
経営者に訴えても、そのボスは長年勤めていて会社にとっては重要人物のため辞めさすことはできないと言う。しかし勢力が逆転して別のグループが力を持つと、旧ボスは「新ボスにいじめられた」と訴えて辞職(あなただって、元々他人をいじめていた張本人なんですが…)。
受け入れ態勢が整っていないと、新人が定着しないだけでなく、「まとも」な人ほど去って行ってしまうだろう。
そしてこのケースは大体1対1の時ではなく、複数人vsターゲット1人という状態で行われる。小中学時代の幼稚ないじめに近いと感じる。
【職場での苦痛な人間関係とは?(2)】
次は私の例。勤務初日に挨拶をしたとき、「どうせすぐ辞めるんでしょ。自己紹介は結構。名前を覚えても無駄だから。」と言われてしまった。きっと「入っては辞め…」を繰り返されてうんざりしているのだろう。しかし最初からこういう雰囲気では、働きづらい。
さらに別の例では、勤務初日にいきなり「AがBとCをいじめていて、DがAに媚びていて、リーダーは一歩引いて中立…」という人間関係の相関図がわかってしまうような驚愕の職場があった。
それに加えて朝の挨拶すら誰も交わしていない状況に疑問を持ち、翌朝リーダーにこっそり理由を聞いてみた。すると、「ここではそれが普通。むしろ濃い人間関係がなく、飲み会や交流もないから楽と思って。(いじめに関しては)新人(=私)には優しくするように言っているから、大丈夫」と言われた。
へ~、飲み会や交流が大嫌いな私にはむしろ合う?
いやいや、それはそれとしてこの陰鬱な雰囲気は絶えがたいかも。次はいじめられている側のBとCに状況を聞いてみたが、二人ともじっと耐え続けているようだ。
昼休みは外出OKだが、節約のためにお弁当を作って狭い休憩室で食べることにした。しかしそこの常連はよりによってAとDだった。リーダーの言ったように私には優しい二人だが、食事中ずっとBとCの悪口で盛り上がっていて、私にも同意を求めてきた。キッパリと「他人の悪口は言いたくないので」と意思表示をして、次の日から喫茶店で休憩することにした。
予想通り、その時から勤務時間内に後ろから(わざと聞こえるように)私への悪口が始まった。
結局そんな雰囲気に耐えられず、すぐに辞めた。そんなことに惑わされずに仕事に集中するべきだったのだが、私の性格ではBとCのように「嫌がらせに耐えて黙々と仕事をする」ことが無理だったのだ。
【職場での苦痛な人間関係とは?(3)】
20代前半にやっていた職種に戻ろうと考え、そのための最新の資格を取るスクールに通いながら、接客業のパートを始めた。
しかしそこには、とてつもなく怖くて厳しい先輩がいた。トロい私は怒られてばかりいた。その人の怒りの表現は「怒りの感情を強く持っている」と自覚している私を遥かに上回るものだった。
謝罪後にも延々と続く怒号の中、逆に「この人はなぜこれほどまでに怒っているんだろう? ある意味すごいな。こんなことにエネルギー使ってこの人、大丈夫?」などと冷めた、あるいは同情に近い気持ちででその人と向き合っていた。
もしかして、その先輩を通して鏡に映る自分を見ていたのだろうか。そして何となく「実はこの人は本当の悪人ってわけじゃないんだろうな。多分怒りをコントロールできないだけ。」だと感じていた。責任感の強いこの先輩がいるから店が成り立っているのがわかるし…。
その後新しい人が入ってきて、その人も私と同じように怒鳴られることになる。しかしその人は度を超えたその言動に「言い返すことができる人」だったのだ!(=すごいバトル👊)
その人は私をかばい、心配してくれて、「きっとあなたならいい仕事が見つかるよ」と言ってくれた。私は資格を取ったタイミングで、その言葉に励まされて職安に行き、すぐに仕事に就くことができた。
辞めることを伝えた時、なんとまさかのまさか、”怒り”の先輩が「今まできつく当たってきたけど、本当によく耐えてくれたね。よく頑張ってくれたね。」と優しい顔で言ってくれたのだ。
その瞬間、「ああ、これは『終了』の合図だ。この職場での出来事だけでなく、今までの『職場での人間関係における苦痛』から私は解放されたのだ!」と感じた。
【人間関係の良い職場への『固執』】
そして私は「一番長く続いた職場」に就職。やっと人間関係と雰囲気が良好(まとも)な場所にたどり着けた時、まるで「天国」のように思えたのだ。
だから過酷な状態にも耐え、何度も身体と心を痛めながら働き続けてしまった。正常な脳の感覚が麻痺して、そんな状態が「おかしい」と思えなかった(家族も気づいていないし)。「それ、おかしいよ!」と言ってくれたのは、当時やっていたホームページの読者だった。
今、改めて考えているのだが、なぜ気付けなかったのか。やっと「地獄」から「天国」に辿り着けたという思い込みで、私はそこに異常に固執していたのだ。
結局、仕事を辞めなければならないぐらいのひどい症状に至ったのは、「そうでもしないと、STOPしないから。このままじゃ『死』を選ぶから。」だったんだろうなぁ。
新しい職場ではそれを防ぐために、正社員という働き方は望まなかった。過去の失敗を教訓に、自分が自分らしく生きられるような「仕事とプライベートのバランス」を探っていきたい。
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