No.150 2022.11.20(日)

猫を棄てる 父親について語るとき/村上春樹/文春文庫/2022.11.10 第1刷 660+10%

 文庫本で購入した訳は、表題にある。気分的なもので笑い事なのも理解するが、どうしても刊行時「猫を棄てる」という題名に反発する部分が【思ったより】多くて購入することが出来なかった。何故、文庫本なら良いのかと問われても正確に答えることなど不可能なのだが、それが【読み手の気分次第】という事なのだろうとウヤムヤにする。

 

 読み初めのいきなり飛び込んでくる「猫を棄て」に行った時の父親と息子(作者だろう)の姿が、パッと目に浮かぶ。それは遠い昔にとっくに過ぎ去った過去の幻影なのかもしれないが、自転車の荷台に置いた段ボール箱と中に入れられた一匹の猫の写真が言い知れない恐怖をもたらす。読む進むとこの後の展開でホッとするのだが、いかんせんこの部分だけ拾い読みすると……恐怖感なのだ。それは作者の意図したもの意図しないもののどちらでもなく。単純に犬や猫が身近にいた環境に育った者にとっては、どうしても相入れない所業と写ってしまうからだろうか。

 

 その後は、ひどく緩やかなのに目を離すことの出来ない文章で繋ぐ父の思い出。自らのルーツに関する初めての本であり、20年間に渡る父親との不和を語ることで父親の生涯を振り返っている事に少しずつ安心感が出てくる。しかし、根本に流れる不穏な空気は避けようもない。

 何故ここまで沈んでいるのかと考え込まざるを得ない。もしかして、実体験に裏打ちされた真実の暴露として読んでいるからか。それは作者の本来の意図なのか。

 

 全体的にセピア色のイメージが冒頭から浮かび上がる。遠い昔のまだ村上少年の小学生の頃の猫をめぐる騒動と、そこから断絶していた父親の最期の時に「和解」もどきを語る。

 戦争時代の父親の姿を自然に書いていられるようになった村上春樹の心に残る悔恨も浮かぶ。名文ではないが長く心に残りそうな短文であろうか。

 

 猫に関する思い出ではなく、猫から触発された飼い猫のお話に入れ替わっているのが微妙に面白いか。

 

 父親との確執は、いわゆる分からなかった戦時中の父親の行動を明らかにすることである意味乗り越えたかも知れない。

 

—内容紹介を引く……

 父の記憶、父の体験、そこから受け継いでいくもの。村上文学のルーツ。

 ある夏の午後、僕は父と一緒に自転車に乗り、猫を海岸に棄てに行った。家の玄関で先回りした猫に迎えられたときは、二人で呆然とした……。

 寺の次男に生まれた父は文学を愛し、家には本が溢れていた。

 中国で戦争体験がある父は、毎朝小さな菩薩に向かってお経を唱えていた。

 子供のころ、一緒に映画を観に行ったり、甲子園に阪神タイガースの試合を見に行ったりした。

 いつからか、父との関係はすっかり疎遠になってしまった……。

 村上春樹が、語られることのなかった父の経験を引き継ぎ、たどり、自らのルーツを初めて綴った、話題の書。

イラストレーションは、台湾出身で『緑の歌…収集群風…』が話題の高妍(ガオ イェン)氏。

 

 薄い本で一気に読めるのだが、読後感は寂しい。熱がない空間を経験したような、と言えばいいか。どこまでも冷ややかな空気が付き纏ってくる文章に、静かに本を置いた。

 ★★★★★