No.156 2015.9.20(日)
中野のお父さん/北村薫/文藝春秋/2015.9.15 第1刷 1400円+8%

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 日常の中に表れる謎を鮮やかに“解く”新しい物語。ミステリの世界では、通常“安楽椅子探偵”の事件解決ものになる。安楽椅子に座ったままで、つまり現場という視覚を経ないで難事件を鮮やかに解いていく物語。その探偵が主人公の“中野のお父さん”。
 
…主人公の田川美希は、中学からバスケットで鍛えた体力を武器に大手出版社「文宝出版」に入社。女性誌編集部に配属されファッションや美容を担当後、文芸の書籍部門へ。中野の両親とは離れて一人暮らしも、高校の国語教師の父は娘との会話を楽しみにしている。…
 
 八編収録。出版界に秘められた“日常の謎”を、編集者の娘と“安楽椅子探偵”の父が解明していく。とても、嬉しい一冊。ミステリは必ずしも“血を見たり、何人も死人が出たりしなくても成立するのだ”という意味でも、実は“空飛ぶ馬”シリーズの継承と言える。これは、ファンにとって非常に嬉しいのではないか。ワクワクしながら、ゆっくり愉しむ時間を持てるのだから。
 「夢の風車」…新人賞最終選考に残った、最優秀となりそうな応募作品の作者に最終選考に残ったことを電話した美希に、応募者が返した言葉は「応募していませんよ、わたしは。応募したのは前の年ですか…」という意外な答えだった。
 「幻の追伸」…実は、扱いに困っている手紙がありましてね~取材で訪れた神田の古本屋の2階で見せられた、ある大物作家に宛てた女流作家の手紙。それは、最後の方が切り取られてしまっていた。
 「鏡の世界」…亡くなった作家の遺品から、未発表の画集が出てきた。カメラマンが撮影した写真を見た父が指摘した真相は、鏡の世界だった。
 「闇の吉原」…若手落語家と落語好きのミステリ作家で座談会を催した。話題に上がったのが噺の「文七元結」の中に出て来る俳句の解釈だった。「闇の夜は吉原ばかり月夜かな」。芭蕉の弟子である其角の句だが、文字をどこで区切るかで“意味の異なる二面性”の句だった。
 「冬の走者」…作家とのつき合いから市民マラソン大会に参加することになった編集部一行。編集長の実家に一泊しマラソン大会を走る。その後、編集部にかかってきたのは、編集長の姉からの「弟は、ちゃんと走ったんですか?」という妙な電話だった。
 「謎の献本」…尾崎一雄が師匠の志賀直哉に贈った献本に書かれていた“謝辞”。この意味不明の“謝辞”を父が鮮やかに解き明かす。
 「茶の痕跡」…定期購読者へお礼かたがた訊ねた美希は、思いもしなかった殺人事件の目撃話を聞く。円本に纏わる元郵便配達人の老人が語ったのは、異常に本に執着する人間の存在とその行動だった。
 「数の魔術」…体育学部の同窓に頼まれて、中学校の女子バスケットチームへ校外コーチとして指導にあたっている美希。主力選手の双子の存在に、ロンドンオリンピックで女子バレーボールチームが見せた“数字の魔術”を応用した。その後、後輩の女性誌編集者に聞いた「宝くじおばさん」が、強盗にあい外れ宝くじを奪われた事件を教えられる。父が解き明かした“数字の魔術”は、意外な犯人を焙り出すものだった。
 
 読後感が爽快なのは、実に久しぶりだ。ドロドロな、あまりに悲惨な物語ばかりを読んでいると、こちらの神経もヘンになってくる。清涼剤として、と言ったら非常に失礼なのだけど、北村薫作品がすべてを優しく覆ってくれるのは素晴らしいことだと確信する。
 面白くためになる作品だろう。傑作
 ★★★★★