ブログネタ:Facebook興味ある?
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「旅立ちの朝」
という旅行会社のコピーを見た。ところが、不覚にも「朝立ちの旅」と読んでしまった。ちなみに、これは今回の話にはまったく関係がない。
SNSというものがあまり得意じゃない。なぜなら、マメな人間じゃないから。時代の波に乗り遅れてるともいえるのかもしれない。
初めてFacebookを知ったのは、海外の友人からの招待。5,6年前のことで、「コレはなんぞ?」とハニワ顔になり、てっきり迷惑メールかと思った記憶がある。それ以前にも、タイ人の友人からタイ語表記の意味不明な招待メールを受け取ったことがある。きっとあれもその類だったんだろうなぁと思う。結局ミクシィにもイヤイヤ入って、今でこそLinkedInとかホニャララとかいくつか所属はしているものの、ほぼ放置。
最初の頃は完全無視だった。
用があればメールすりゃいいと思っていたし、自分自身のことをそうやって誰でもみられる環境にさらすという破廉恥な行為に、どうも心地の悪さを感じていた。そもそも前はそんなにネットの世界に縁がなかったこともある。
ところが、そうも言っていられなくなる事件が起こった。
何人かからの招待を問答無用で無視し続けていたのだが、そのなかでも再三招待してくれていた、大の仲良しだったトルコ人のHotmailアカウントが、いつの間にか消失していて連絡が取れなくなっていたのだ。そう、ここでもいつか登場させた、精悍なキリスト似のイメケン、ギョカンだ。「おナニーは連続10回しろ」というのが彼のお得意の教義だったが、そんな彼とこのまま音信不通になってしまうのかと思うととても悲しかった。
そこで、Facebookの力を借りることにした。
他人という名の海の中へ、友を探すダイブ。
だが登録者5億人のなかで、名前を検索しても一向に見つからない。おそらく、イチゲンさんお断り設定をしているのだ。あるいはもう天に召されたか・・・。共通の友人も見当たらない。しかたなく、当時の仲間たちとつながれるだけつながりの網を広げて、彼の方から見つけてもらうのを気長に待つしかなかった。ギョカン網漁。世界に一匹、幻の絶滅巨大魚を追うかのごとく。
そしてついに、去年、網にかかった。絶滅していなかった。
そのメールを見たときは思わず「ぅおおー!」と声を上げた。そして怒涛の一本釣り。網ですでに捕らえているのに。
数年ぶりの会話は感慨ひとしお。むこうも三十路になり、顔からは精悍さがなくなってしまったが元気そうだった。未婚で彼女もいないらしく、ヤラック(トルコ語でチ○コ)が暇で死にそうだ、と笑っていた。
そんな相変わらずな友情を確認しあえるのも、Facebookのおかげだったのは事実。きっと似たような話はごまんとあるだろう。
よき友も、遠きにありて思うもの。
引越ししようが放置しようが、つながりが消えないシステムが生まれたことはすばらしいが、出会いと別れの持つ意味も、少し変ってしまう気がする。
ゆえに、Facebookに興味はないけど、恩はあるといえる。