「・・・バーボン。ロックで」
いーちゃんはサオリのために、慣れた手つきでグラスに『フォア・ローゼス』を注いでいく。ついでに自分の分も作っているようだ。ユウトはその作業を見ながらふと、サオリは今日どうしてここへきたのか、もしかして自分は邪魔だったか?と考えていた。だがそんな空気ではないようだし、もしそうならいーちゃんが気を利かせるはずだ。そう思って考えるのをやめた。
店の奥にいたすっぴんの富美雄ママが携帯で誰かと話しながらカウンターにタバコを取りに来て、ユウトにウィンクをしてまた戻って行った。ママのしゃがれ声は、不思議と耳に心地いい。
「はい、どーぞ」
「ありがと」
受け取るとすぐ、サオリは一口飲んで小さく息を吐いた。カランと氷が鳴って、それにつられるようにユウトも自分のホットワインを一口飲んだ。
「それにしてもずいぶん他人行儀な言い方だな。泉とは小さい頃から何度も会ってるのに」
「ちゃんと話したのすっごく久しぶりだったのよぅ!もう可愛くってなんだかこっちが興奮してきちゃったわ~アタシとしたことが」
女っぽく身振りを交えて話した最後に、「ヤダ~」とか言いながらこぶしを股間で下品に突き上げて見せる一郎。こいつの、こういう中途半端なところを見ていると、どこまで本気で女になりたいと思っているのか呆れてくる。まぁこの位たくましくて柔軟な精神でなければダメな生き物なのかもしれない。
「で、泉は何しに来たんだ?『例の一件』は落ち着いたって?」
ユウトは、こぶしを突き上げたまま、さらに中指をおっ立ててツッコミ待ちをしているいーちゃんにきいた。
「・・・まさに、『例の一件』のことで来たのよ」
ひと呼吸おいて言ったいーちゃんの言葉に、ユウトは顔色が変わった。
「おい、何でもっと早く知らせてくれなかったんだよ。この前って、いつ泉は来たんだ?」
「ちょっと待って、それはアタシのミステイク。泉ちゃんがうちへ来たのは昨日よ。今日あんたを呼び出すつもりだったの。さっきまで、サオリとどっちが電話するか話してたのよ」
「この前とおなじ奴なのか?」
「たぶんね。ますますひどくて、もう携帯が使えない状態なんだって」
「・・・きたか」
ユウトはホットワインを一気に飲み干した。
泉は長い間ストーカー被害にあっていた。それも結構イカレた野郎に。後をつけられるだけだったらまだしも、無言電話や白紙のFAXと徐々にエスカレートしていき、仕舞いには電話口で延々と薄ら笑いを続けるようになった。それを機に固定電話を解約したが、そのうち携帯電話にも非通知の無言電話がかかってくるようになったのだ。
初めのうちは心配しつつも泉には彼氏がいたし、ユウトたちは特に何かしたわけではなかったが、携帯電話への被害が始まった頃には、もう彼氏と疎遠になり始めていて頼れなくなっていた。いよいよユウトといーちゃんが直接ストーカーに思い知らせてやろう、という流れになったのが去年の暮れのこと。
狡猾な奴だから、顔を見られないほうがいい。空手弐段のいーちゃんとボクシングジムに通っていたユウトは、やや興奮気味に話し合った。それは、そいつの再犯を見越しての考えだった。一度の制裁であきらめるようには思えなかったし、泉を付け狙う、ということに対しての制裁だと気づかせなければ意味がない。何度でもやってやるつもりだった。
作戦はこうだ。夜、仕事帰りの泉を付け狙う奴を路地裏でシバいてすぐ逃げる。そしてそのまま奴が泉のあとを追わなければそれでひとまず成功とする。問題は誰がシバいたあとの状況を確認するかだったが、ちょうど帰国したばかりでまだ会ってもいなかったサオリに、泉と電話してもらうことにした。
――その日、祝日で仕事がなかったユウトはいーちゃんと、休日出勤帰りの泉を付け狙う奴を付け狙う、二重尾行をしていた。泉にもそのことは告げてあり、泉とは相当な距離をとって様子を伺っていた。駅から商店街へ。携帯で泉と話しながら、歩くルートやどの店で時間をつぶせとか、そんな指示を出して「そいつ」が誰かを見極めようとしていた。
果たして「そいつ」はいた。遠くて顔までよくわからなかったが、明らかに泉と距離を保った一定の移動をしていた。カーキーのニット帽をかぶって携帯をいじっている。いーちゃんもそのストーカーを確認し、泉には路地裏を通って帰るように伝えて電話を切った。その直後、泉はサオリに電話をしたはずだ。
路地裏で見せた2人の動きは訓練された軍人のように精確だった。いーちゃんが圧倒的な力で背後からチョークスリーパーの締め方で相手の視界をさえぎり、ユウトが携帯を取りあげて水たまりに投げ入れてから、みぞおちに痛恨の一撃を放った。声にならない呻きをあげるストーカーを暗闇に突き飛ばし、走り去る。
相手はヤクザかもしれないし、どんな行動に出るかわからなかったから、とにかく急いで離れた。言ってしまえば要するに、俺たちはビビッていた。泉の状況報告次第でサオリから電話をもらえることになっていたから、それまでは走り続けるつもりだった。
「どけどけどけどけ!どいてくれ!」
男とオカマが並んで、一糸乱れずものすごい速さで商店街を駆け抜けていく光景は異様だっただろう。雨で祝日のアーケードには、意外なほど人が多かった。
・・・そして年が明けて今再び、という状況になったわけだ。
「やっぱりきたか」
そう言葉にする一方で、このやり方が本当にいいのか疑う自分をユウトは感じた。受け身すぎる。泉に何かあってからでは遅いんだ。あの時せめて携帯を壊さずに、身元を割り出すべきだった。
「実際にこうなってみると、うすら寒いものがあるわね」
うすら寒い存在がそう言うのだから、間違いない。自分もいーちゃんも、認識が少し甘かった。
「というわけで、あたしはこれから仕事帰りの泉ちゃんと合流するの」
そんな空気を察したかのように、そう言ってサオリがグレーのコートを手に席を立った。
「ひとりで行くのか?」
「あら、いーちゃんと一緒に空手やってきたあたしじゃ不満?女性陣は部屋で引越しの準備をするの。なにより、怖がってる泉ちゃんのそばにいてあげられる人が必要でしょ。そろそろ、時間だから」
「そぅは言っても気をつけるのよ、サオリ。アタシらもすぐ動くから」
うん、それじゃまたあとで、とちょっと笑ってサオリはさっさと出て行ってしまった。
「・・・アタシらもって、おまえ仕事は?」
「ママにはもう話してあるわ。そのかわりこうして早くからひとりでお店の準備してんのよ。それに新年早々オカマに会いたい人はそんなに多くないものよ」
ふと気がつくと、散らかっていた流し周辺が綺麗になっている。
「・・・サオリのやつ、なんだかちょっと活き活きしてたな」
「タフに見せるのがうまい女って、グッとくるわ~」
そう言ってまたこぶしを突き上げるいーちゃんを尻目に、ユウトはサオリが出て行った扉を見つめたまま、おいていかれたような気持ちになっていた。
ポールの死は、サオリにとって俺らより重かったはずだ。そのことについては分かり合えないのかもしれない。ただ、これまでも彼女が支えを求めたりしたのを見たことがない。『タフに見せるのがうまい』ことと、『弱さを見せられない』ことは何が違うのだろう。彼女がいつか自分に助けを求めるときはくるだろうか。それこそが特別な信頼の証になる気がして、そしてポールにはそれを見せていたのかもしれないと考えて、モヤモヤとしたものが頭をもたげてきた。――遠い。いったい、どれだけ想い続ければ・・・
「ユウト、妄想は後にして。今は泉ちゃんを助けるために頭を使うのよ」
見透かすようにいーちゃんが遮る。そして、思考が戻ってこず、腑抜けた顔をするユウトにさらに追い討ちをかけた。
「長く想ったからって、強く想ったからって叶うとは限らないわよ、恋は。これだけ想ったんだからって期待するキモチはわかるけど。そういうのって『好意の返報性』っていったかしら。そんなのそれこそストーカーの論理じゃない。・・・ああいう女子は、たいがいナチュラルな男に弱いの。考えすぎてわかりやすい男って、グッとこないわよ」
・・・まったく恐ろしいオカマだ。
ユウトは苦笑するしかなかった。