花もまた
君のためにと咲き出でて
世に並びなき春にあうらし
とは、去年の花見で詠んだもの…ではなく、数百年前の花見で淀君(茶々)が作った句である。
詩歌における「花」とは桜のことを指すが、今年は桜が遅くて待ち遠しい。
きっと桜にとっても、会いたい「春」がそばにいないからなのだろう。
花見を自粛するムードが広がっているが、まったくもって愚か。気持ちはわからなくはないが、そんなことは誰も望んではいない。日本人気質なのだろうか、なんだか可哀想になってくる。
「大切なものは失ってはじめて気づく」だとか「今日という日は二度と来ない」だとか言うくせに、ちっともわかっていない。我々の一挙手一投足でさえ同じではないのに、明日生きていることも当然としか思えない人なのだろう。そういう人は「今年花見をしなければ、以後花見をすることは叶わないでしょう」と医者にでも言われない限り、きっと永遠にわかるまい。日々の与えられた当たり前の幸せを享受できない人は実に不幸者だ。
作麼生?
桜は英語でチェリー![]()
しかし日本では会話でチェリーと言うと「童貞」の意味で使われることが多い。ところがcherryは本来「処女」の意味であるということを知っているだろうか。要するに血の色からきているわけだが、「童貞」の意味でも通じる。そして「童貞」の場合を特にチェリーボーイと言って、日本ではそのチェリーボーイの短縮形としてチェリーが使われてるから「童貞」の意味にしかならないわけだ。まったく、男にとっては失礼しちゃう話だ。馬鹿にされてるぞ、全国の童貞諸君!今こそ立ち上がれ!勃ち上がらなくていいから立ち上がれ!
・・・こんな風に、本当は女子にも当てはまるのに男子だけが辱めを受けている表現は結構ある。たとえば、眠くなったり起きた直後、それにレム睡眠時には陰茎勃起する。ごく自然な生理的反応で、別に性的に興奮しているわけではない。ただ、彼女に飽きちゃった世の男子の中には、この時の勢いを利用して取り繕う頑張り屋さんもいることは事実。まぁそれはさておき、問題は「陰茎勃起する」という表現だ。睡眠医学の本にもそう載っている。しかし、しかしである。それは男子だけではないのだ。男女とも平等な反応なのだ。すなわち、陰の核も勃して起する。…あ~ぁ、言ってしまった。「陰の核」とか言っちゃったよ。これでまたイメージが崩れてしまう。残念。
なにはともあれ、花見が楽しみだ。
昼間の桜もいいけど、夜桜もいい。ライトアップなどはむしろ無粋で、月の明かりがいい。毎年必ず月明かりに浮かぶ夜桜見たさに、車で忍び込む秘密の場所がある。芝生に横になったまま、温かいお茶をすすり続ける。その夜を邪魔できるのは、風の冷たさと職務質問くらいだ。いやー楽しみ。あのコのおっぱいを見るよりも、よっぽどどきどきしてしまう。