はじめまして。

もはや、そんな気持にもなる。

このブログを始めて以降、ここまで放置したことはなかった。

最後に記事を書いたのは2月くらいだったわけだから、およそ3カ月以上更新がなかったわけだ。


どのような書式で書いていたのかさえも忘れてしまい、書き出しの今、僕はとても困惑している。

「友達100人できるかな」という目標を持ち、小学校入学と共に始めたこのブログだが、早くも1年以上が経過している。

僕は当時より1歳年をとり、小学校2年生になった。

友達も大分増えてきた。少なくとも自分のクラスの人間は全員友達と言える。徐々に人伝いに他のクラスの友達も増やそうと企んでいる最中である。ちなみに、僕の小学校では2年生に上がる時にはクラス替えはないのでメンバーはそのまま。相変わらず正紀やその他の仲間たちと遊んでいる。

そして、もう一つ。明言こそしていないものの、この場所でやるべき事が僕の中では半ば義務化しつつあった。

故人を追悼するメッセ―ジを書くことである。

これに関しては過去に書いたとおりリスペクトする、時代を創ってきた先人たちを感謝の意を込め追悼すると言う意味合いを持っている。

今年も僕の覚えている限りでは、

藤田まこと(俳優)
木村拓也(プロ野球選手)
マルコム・マクラレン(ミュージシャン)
NUJABES(HIPHOP DJ)
GURU(HIPHOPアーティスト)
etc

の方々がなくなっている。(他にも沢山偲ぶべき日本人はいるのだが、僕の趣味も介入してしまっているため、いささかジャンルに偏りがあるのはお許し願いたい。とにかく想い入れがある人間であることは間違いないので)

しかし、人の死はが本当に突然やってくると言う事を僕はここ数年で改めて実感している次第である。
僕が8歳という年齢に達したことで、者心というものが付いてきたからなのか、それとも人の死にただ敏感なだけなのか。いずれにしろ、「死」とは誰しもに訪れる、現実世界を唯一否定してしまう現象なのだから意識をしてしまう人がいるのはおかしくはない。誰もが意識をするといえる。それが早いか遅いかの違いだ。

もちろん、意識しているとはいえ、そこまで深い境地に達しているわけではない。

しかし、65億人いる世界の人口からすれば1秒間だけでも何人もの人がなくなっているわけなのである。つまりその人に関連する何千人、何万人の人が悲しむ事になると言うわけだ。


この事実が僕に死を意識せざるにはいられない想いを抱かせた。


特に著名な方に限れば、大勢のファンが悲しむのだ。


当然僕も。


こういったブログというツールがせっかくこの世界に存在し、一般人であっても一人一人が想いを伝える事ができるのだから、ここにその思いを書いていきたいと言うのが本音なのである。


とはいえ3カ月という期間さぼり続けてしまった。

まぁブログなんて気が向いたら書くものだしいいかぁ。と本当に考えているので何とも思わないが。


友達が新しく増え、生きる喜びを発見していく自分(というより友達との会話がメインになってしまっているが)

そして同時に

死に向かって確実に突き進んでいる自分。(ブログ開始当初より一年が経過している)



この2つがこのブログの大きな柱になるのではないかと、ここまで書いていて思いついた次第である。

完全な思いつきである。


でも、実際はそんな大きな意味はなく、僕は僕なりに小学2年生の日常を気が向いたら更新していきたいだけ。(つまりブログの更新はあくまでも努力義務)


いつもなら、そろそろ正紀やタケシとのやり取りを書くんだけど、久しぶりすぎてどうすればいいのか分からないので今日はここでやめておく。



上記の人達の追悼(僕の想い)は、また後日書きたいと思う。




ボラギノ―ール (雨ト――ク風)
イエローサブマリンに乗って、水の中に入っていく妄想をしてみた…。

ブクブク…。

水の中には、たくさんの見たことない魚が泳いでいる。

緑やら赤色をした不思議な水中生物達。
真っ暗な海の底に、こんな宝石が落ちていたとは。
僕の妄想では海の底には宝物が眠っていた。

浦島太郎が亀に乗って連れられた竜宮城は、きっとこんな感じなのだろう。

最近の僕は、妄想という幻想に奮闘中。
‥‥
‥‥
朝青龍が引退した。僕が特別朝青龍を応援していたという分けでも、嫌いだった分けでもない。

だが寂しい。

たまに見る大相撲、結びの一番に朝青龍の姿がなくなるのである。

千代の富士が貴乃花(当時貴花田)に負け引退。
そして貴乃花は直接の原因ではないが、朝青龍に土をつけられ、後に引退している。
つまり、朝青龍はこの歴代の大横綱の流れを確かに引き継いでいたといえる。
彼はその通り歴史に名を残す横綱になった。

新入幕から10年間で25回の優勝。

強い。
まさに最強だった。
その豪快な取り組みは、横綱の名にふさわしかった。
しかし、それだけでは誰もが認める横綱にはなれないらしい…。

朝青龍は土俵の外でも、その土俵上の強い横綱であり続けた。

時にはガラスを豪快に割り
そして母国では、巡業を休みサッカーで遊んだ。
最近の暴行事件では、とうとう警察沙汰にまでなった。


本来の横綱は、日本の国技である大相撲を代表しているという上での、謙虚な姿勢と真摯な態度が求められているようだ。

それが'横綱の風格’らしい。

朝青龍は、最後までそれを理解しようとはしなかった。かえって相撲に興味のない、ワイドショー好きのオバサン達の方が、横綱に求められる姿に詳しくなってしまったことは、さみしくもある。

格闘技。
そう一括りで捉えようとすれば簡単なことだ。
マイクタイソンは、言葉で相手を挑発し、時にリング状で相手の耳を食いちぎる暴挙にも出た。
プロレスでは当然のように相手を罵倒しにらみ合う。
彼は格闘家としては申し分ないのだ。それが土俵でなくリングであれば絶対王者として、長くチャンピオンの座に居座り続けただろう。
(事実、朝青龍の兄は格闘家として、プライドのリングにも立っている。彼は力士というよりも格闘家として相撲をやっていた面が強かったのかもしれない。)

一方で、朝青龍が人気を誇り、相撲の人気を支えていたのも事実。
彼がいなくなっただけで、どれほどの影響が及ぶかはまだ分からないが、それは決して小さなものでは済まないだろう。

この大きな穴が、同じモンゴル人力士である白鵬に埋められるとも考えにくい。

もちろん、他の誰が横綱になろうとも、朝青龍の穴は朝青龍でしか埋められるはずはない。

貴乃花が日本相撲協会理事選挙に当選したことも含め、今後相撲界が大きく変化していくことが考えられる。

相撲界にぽっかりと空いた大きな穴。これを埋める作業を彼らに任せてみたいとも思えてくる。


今後大相撲がどのような形で盛り上がるのか、今までのように悪いニュースで騒がしい大相撲とは違う、日本の国技である相撲としての純粋な盛り上がりに期待したい。
本来、ミーハーな僕たちにとっては'横綱の風格'なんて、気にすることではないし、気にしたくもない。土俵上で活躍する彼らを見たいだけなのだから。

見苦しくない角界の姿を望む。


西の横綱朝青龍。

僕は決して彼が嫌いではない。むしろ相撲に対する熱心な姿勢は尊敬すべきものであったし、TV出演時など土俵以外での彼の笑顔はとても愛すべきものだったと思う。

もちろん、初場所での優勝も含め、今後あとどれくらい彼が優勝を重ねるのかに期待もしていた。

土俵を去ったあと、その余りある力をどういった場で使っていくのかは、大きな注目点でもある。

とにかく、これまでの横綱朝青龍をネギライつつ、今後の彼を応援していきたいと思う。





ありがとう朝青龍・・・。










最近はクラスで朝青龍の話で持ちきりである。

「朝青龍強かったのに何でやめるんだよ」

「いや、やめて当然だろ」

僕たちのクラスでも賛否両論なようだ。

そんな時、タカシが言った。

「お前ら、安心しろ。」

なんのことだ。

と、皆が聞き返した。

タカシ「朝青龍には、名前がそっくりな弟弟子がいるんだぞ」

皆はため息交じりに言った。

「朝赤龍のことか?」

タカシは一瞬とまどった顔を見せた。

正紀が問い詰める。


「お前、いま、えっ、知ってるの?って顔しただろ」


タカシは吹けもしない口笛を吹いて明後日の方向を向いている。



タカシは古典的だ。






ボラギノ-ル
今年が終わろうとしている。
ふと気付けばクリスマスも終わり、学校も今学期の修了式を 迎えた。

気温は夏を終えて以降、当然下降していくのみ。

今では毎日暖かく着込んで、出かけなければならない。

そんな毎日を煩わしく思っていた時だった。

さみー、毎日Tシャツだけで過ごせればそんな楽なことはないのに。
すると正紀が言った
「夏でもTシャツだけで過ごせるスゴイ服がある」

冬でもだろ。
僕の突っ込みに正紀は反応する。
「冬も夏もだよ」

正紀が間違いを素直に認めないことは別として、純粋に気になったので聞いてみた。

何だよ、その冬もTシャツだけで過ごせるって、まさかユニクロさんのヒートテックのことじゃないよな。

正紀はこれに余裕で返答してきた
「当たり前だろ、全然違うよ」

じゃあ何だよ。

「今俺が着てるの何だかわかるか」

いや、知らん。ダウンじゃないのか?

「ここを見ろ」

正紀が自分の着ているダウンジャケットの右の胸を指差した。

「T」

「つまり俺は今日これだけで過ごしている、Tシャツだけでな。ハッハッハ」

くだらない。そもそもそれじゃTジャケットだろ。夏場暑いし。面倒くせー


僕はより心が寒くなったことを、確認するように帰路に着いたのだった。






何はともあれ、2009年が僕にとって新たな年であったことは、間違いない。

来年もまた新たな気持ちで、新しい友達を含めた、自分にとってのまだ見ぬ「何か」を求めていきたいと思う。




ボラギノール