「やめとこう、また夢になるといけねぇ」

これは人情噺として親しまれる古典落語、「芝浜」のオチのフレーズである。先日亡くなった三遊亭円楽師匠が事実上最後の公演として行った演目としてもしられている。


彼と二人で「悪友」と言われた立川談志師匠もこの「芝浜」を得意としているのは奇妙な縁を感じる。


「馬みたいな面長」

このネタでいじられていた円楽師匠の姿が懐かしい。

五代目三遊亭円楽として馬円楽と称されたお茶の間の人気者。

笑点以外のテレビで活躍したのは僕が生まれる遥か昔のようだが、その人柄と人気を感じるにはもはや笑点だけで充分すぎたと言える。

僕が個人的に残念だったのは師匠の古典落語を聴くことが出来なかったことだ。

落語界からの引退を表明した後、その姿はほとんど見ることはできず唯一、毎日香のCMでその声を聴くことができただけだった。

まだ喋れる、そう感じているのは僕だけではなかったはずだが、プロフェッショナルである円楽師匠には、それでは許せない強い落語へのコダワリがあったようだ。

あくまでプロフェッショナルへこだわり、潔く寄席の舞台から身を引く円楽師匠。

若かりし頃夢見た落語家の姿はこんな喋りではいけない、そんな想いがあったのだろうか。
彼が落語界から身を引いた理由は「芝浜」のオチにも通じる部分があったのかもしれない。

笑点をはじめとしたバラエティの世界、そして落語の世界をプロフェッショナルとして生き続けた三遊亭円楽師匠があの世でも人を楽しませていることを想いながら、彼のご冥福をお祈りする。



落語の話を友達にしたことがある。

「死神って話は面白いんだよ」

するとタケシが言う
「なにそれ?しらね~、死神とかへんな本でも読んだの?」

僕が話すんじゃなかったと後悔していると、マサルが口をはさんできた

「死神か~」


「えっマサル!知ってんの?」

僕のテンションは一気に上がった。

「落語のだろ。今話聞いてたよ。知らないけど」

中途半端に話に乗っかるマサルに一回キレようとしたが僕は我慢した。


タケシ「落語よりM-1だろ」


「やっぱそっちいったか!」


(昔の松本引越しセンター風に)
M-1も面白いです。でも落語のほうがもっと面白いです。




ボラギノール

夫である長門裕之氏が熱い想いを語る姿がまだ目に焼き付いている。
「久しぶりに失恋をしたような気持ちだ」

確かこんなような事を言っていたが、その強い想いに僕達は夫婦のあるべき姿を見たのではなかろうか。

少し前に長門裕之氏の妻、南田洋子氏が突然危篤状態に陥り亡くなった。

治らないと言われる痴呆症が奇跡的に回復しつつあった最中だった。

僕はまだまだ若すぎて南田洋子の凄さなんか全く分からない。
だけど長門裕之のエピソードをテレビで見ていると、彼女の女優として人間としての凄みが伝わってきた。

長門裕之の浮気に対し、突然現場に現れその女に一言だけ残し去っていくその姿、女優業の裏での夫の父親への献身的な介護生活。
テレビの作った再現VTRだけで華やかな世界の裏にあった苦労と彼女の勇ましさが伝わってきた。

長門裕之と南田洋子、二人は最後まで愛し合っていたと言えるのだろうか。
夫の強い想いは画面を通して伝わって来たが、対する妻の想いははっきりと分かる事が出来なかった。

しかし、その答えは夫の言動を見ていると分かる。
彼があれだけ妻を愛しているのは、彼がそれ以上に妻に愛され続けてきたからなのである。

理想の夫婦像は、やはり理想の愛を持ってしてなしえる。

分かりきっているようで難しい、本当の理想を見た気がした。

死してなお、人々へ憧れを抱かせる南田洋子氏のご冥福をお祈りする。

僕も将来的にはそんな理想の愛を求めたい。

と、少し前にそんな話を学校でしていた。

するとケンが言った

「南田洋子って人、俺のばぁちゃんと父ちゃんに似てる」

「おい、ケンやめろ。お前のばぁちゃんとは格が違うぞ、しかも父ちゃんって意味分からん」

僕達はよく知らないながら格の違いを言った

するとケンが言う

ケン「いや髪型がね」

「・・・」

ケンの父ちゃんは、ばぁちゃんだ。


ボラギノール
少し前にも一度書いたことなのだが、改めて思う。
今年は本当にたくさんの尊敬すべき人が亡くなっている。

南田洋子氏が亡くなったすぐ後に笑点で活躍された三遊亭円楽師匠の訃報。

これだけでも僕は2009年と冥会の異様な関係性を疑っていたのに、さらに最近になって森繁久弥氏の大往生のニュースを聞くことになった。

この数週間の間にテレビの世界にいる、いわゆる大御所の人達がこんなにも亡くなった。
ただテレビの世界の人が死んだと済ませる訳ではない。彼らは大御所と言われるだけ長い間、それこそ僕達の両親や祖父母に至るまでの人々へ、夢や憧れを送り届けていたのである。

社会への貢献度は物凄いと思う。

いつもこういった事を考えて、亡くなった著名な方へは必ず追悼の意を込めたブログ更新を行っていた。

しかし最近は少し忙しくなりそれが滞っていたのだが、この尊敬すべき三名のご冥福を祈り、いかんせん文章が幼稚ではあるが、数回に分けて僕の想いを書きたいと思う。