【クレバリ店長が考える世界と日本の「今まで」と「これから」について】-[その五] | 岡山洋服crayonvalue店長のオフィシャルブログ

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[その五] 「考える」

これから、私たちはこの世界の流れに身を任せて暮らすだけでよいのでしょうか。
各分野の専門家と称される人々にゆだねるだけで良いのでしょうか。
賃金が低いから、安いものを求める。
安いものが求められるから、安いものを提供するために賃金を抑える。
成長する余地がなくなっているのに、成長の方法しか信じられるものがないから、無理やりに成長を求めた結果、人件費が抑えられる。

考え方は人それぞれ異なると思います。
異なっていて当たり前です。
でも、「考えること」と「考えるために必要なこと」を手に入れることは必要だと思います。
それは、主権が国民にあっても形骸化して、世の中の流れと仕組みの奴隷にならないためです。

また、暴力によって他国と自国を壊して、成長を得る方法は、もう二度と選んではいけないですよね。
だから、経験がないけれど、怖いけれど、成長ではない新しい方法で人々が暮らせる仕組みを試みて、開発しなければいけないのです。
暴力を行使できる方法を拡大して準備するより、欲望を優先して暴力によって利潤をもとめてきた人類の過去から学ぶのです。
心の不安に負けないで、暴力によらない、かつ成長によらない方法で、この国を、この世界を安定した幸せのシェアが実現する世界にしなければいけないのです。

私は基本的な人の自由な意思と行動は尊重されなければならないと考えています。
社会の体制やルールによって、個人の自由な意思や行動が根本から制約される社会は望みません。
ただ、過去の経験からも今の実態からも、人の欲望とは果てしなく可能な限り増幅することが証明されています。
このことによって、その時代と社会の在り方を反映して、一部の人が強大な力をもち、富の均衡が大きく崩れて、大多数の人の可能性や存在までが制約される「恒常的な状態」になることは是正するべきだと考えるのです。
真面目な努力だけでは夢が叶わないという「構造的な問題」と成りつつあるのです。

これは、人類の営みが拡大して、地球の許容量に限界を感じはじめた今となっては、この欲望を抑制する仕組みは、富を得ている人たちにとっても結果的に将来へ有効な手立てとなります。
みんなの知恵で民主的な方法から必要なルールの制定とそのための行動が必要だと思います。

数字を小さくして例えてみます。
世界に一日100本のペットボトルの水を作る資源と生産能力があります。
世界のすべての人は100人で1人あたり一日1本のペットボトルの水で満たされます。
毎日、みんな何も不足することなく平和に暮らしていました。
そこに、ある人が「もしも、足りなくなったら!?」と不安になりはじめて、その人が一日2本の水を自分のものにしました。
すると、1人が水を手にすることができなくなりました。
過去の人類なら、ここから信用不安が起きて、過剰な奪い合いや、資源を無理してでもどこからか手に入れたりする行為を暴力によって行っていた訳です。
今は、総じて非暴力な方法で経済と金融という方法で行っています。

これからも、これを続けますか。
経済と金融という方法で、限りある資源から無駄に多い水を作って過剰に所有しますか。
もしくは、もう一度暴力によって奪いあいますか。
100本を100人で考えたらわかりますよね。
やれることもありますよね。

もちろん、実際の人類はそんなに簡単な関係ではありません。
でも、このことをイメージして、人類の英知を結集してその方法を開発していくしかないと思いませんか。

いつの世でも「こどもたち、次の世代のために。」と言っています。
でも、今の日本にあっては、現在の立場と権限を変更することなく、自分の代まではなんとか保たせたいというのが、実際にやってしまっている私たちの欲望ではないでしょうか。
しかも、実質的には「地理的物質空間」と「電子金融空間」において成長の領域を失った上に、莫大な借金と環境破壊によって、「時間という空間」において次の世代に所有権があるはずの未来の領域まで、今の世代の私たちが食べ尽くしています。
バブル崩壊後の20数年をこの社会と大人たちに対応して、そんな中でも幸せを感じられる生き方を自ら工夫して生み出している若い世代の人たちに対して、既得権を手放せず方法を変えられないまま、彼ら彼女らの未来の財産と環境まで食べ尽くしてしまっている大人世代が、無責任に「ゆとり」だ、「さとり」だと揶揄しているのではないでしょうか。
若い世代が生き方の工夫をせざるを得なかった要因と未来に希望が持ちづらい状況にした責任の一端は、私たち大人世代にあることを誠実に認識したいです。

世界の富裕層



次回は、【クレバリ店長が考える世界と日本の「今まで」と「これから」について】[その六「どうする」 http://ameblo.jp/crayonvalue/entry-11895503250.html
[その四]「電子空間」はこちらから→
http://ameblo.jp/crayonvalue/entry-11893997145.html