展覧会の予定がぎっしり詰まった今年。
ちゃんとクリア出来るのか不安でした。
6月12日(県女流協会展搬入の日でした)静岡市内にいた私のもとに
父入院の知らせが飛び込んできました。
春先から何度か発熱を繰り返してはいたのですが
それなりの処置を受け施設に戻ることができていたのに
ついに入院!!
環境が変わって意識の混乱は見られたものの
食欲もあり一度は退院の予定も組んだのですが・・・・
7月、8月と入院は長引き、そしてだんだん体の動きが悪くなっていきました。
7月末ごろから食事がとれなくなり、点滴だけで持たせているような状態が続きました。
それでも父は治ろうと思っていました。
そして回らなくなった舌でおどけたことを言ってみせるのでした。
こんなに面白がり屋さんだったんだ。それは新鮮な気づきでした。
いつも不機嫌そうな顔をしている父の印象が強かったのです。
父は私が絵を描くことなど望んではいなかったと思います。
学費がかかるばかりで将来が見通せません。
親ならもっと安定した職業をと望むでしょう。
それでも、半ばあきらめていたのかもしれませんが
病床で「今は何を描いているんだ?」「早く帰って描きなさい」と
そう言ってくれました。
最後はやはり心細かったのか「おとうさんかもっといてほしいけど」と言っていたけど。
「暗くなるから気をつけて帰れよ」と。
最後の夜ぐらい一緒にいてあげたかった。
様態が安定していたので帰宅して
その翌朝9時半ごろ電話をもらって病院に駆けつけるともう息はありませんでした。
9月10日、誕生日のちょうど一か月前。86歳でした。
お通夜の日は万野原新田にあるRYU GALLERYでの個展搬入日。
慌ただしくて感情が凍り付いているみたい。
ただただすべきことをこなしてきました。
今日で二週間。ふいに父のことを思い出すようになりました。