8:遠いいざなみ | クラフトPとろのブログ

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クラフトPという名前で、ボーカロイド曲を作っていたり

前の章で「どういう風に変えたのかは次回で!」と書いたが、ちょっとその話は置いといて、今日は別の話を書くw


今日は9月12日、昨日は9月11日、そしてその10年前にアメリカ同時多発テロは起きた。

その時の私は、自分的には人生どん底の時だった。自分自身が犯したいろんな過ちを清算するために、もがいていた頃だった。毎日が苦しくて、「死」が甘い誘惑のようにも思えた。

あまり詳しくは言いたくないが、あまりに苦しくて、音楽をすることも忘れていた。でも、こういう時の気持ちこそ音楽にするべきだったんじゃないかと、今となっては思う。

何をするわけでもなく、どこに行くわけでもなく、ふらふらと車で走って、ここは死に場所によさそうだとか、この崖なら人に迷惑はかけないかなとか、そういったことが脳裏に浮かんでは消えた。

死んだ友人が羨ましく思え、ニュースで誰かが亡くなった事件を耳にすると、反射的に「いいなあ」と、自分だけに聞こえるような声で口にしてしまっていた。

そんな時、911は起きた。


自分の差し迫った境遇も忘れて、私は何時間もテレビに見入った。何という感情なのか今でもうまく表現できないけど、怒りでもなく悲しみでもなく体が震え続けた。私は被害者の事を思っても、もう「いいなあ」とは口にしていなかった。

私は自分にできることは全部しなきゃと、会社に数週間の休みをもらい、身の回りのいろんな問題を、諦めずに解決する事に全力を尽くし、やっとのことで数年ぶりに、人様と同じように安心して暮らしていけるようになった。

今でも本気で「死にたい」という方を見ると、その気持ちを察してしまう。死んで楽になりたいと言う気持ちは痛いほどわかる。

人はなぜ自殺をしてはいけないのかという問いに、私は説得力のある答えを今でも出せない。どうしても無理だったら、自分で死を選ぶのも一つの選択肢かもしれないとも思う。

せいぜい、だれにも迷惑をかけない自殺の方法なんてないから、とりあえずもうちょっと生きていようよ、くらいのことしか言えない。

でも、私自身は、あのとき死んでいなくてよかったと思うことは何度もあったし、あのとき死んでいればよかったと思ったことは、その後一度もない。



さて、話は2009年に飛ぶが、その頃に活発に活動していた「にゃっぽん」というボーカロイド系のSNSで、裏花火さんの詩を読んだ時、その頃の自分の姿を思い出した。


その詞のタイトルは「遠いいざなみ」


「生まれてきたことをただ嬉しいと思うためには、どれだけの奇跡が必要なのだろう」


この1行に私の過去の思い出したくない記憶と、その頃の歴史的大事件とが一緒になって蘇った。

友人の荒須賀さんという歌い手さんも言っていたが、この1行は誰しも一度は思ったことのある気持ちを書いていると思う。そして、難しい単語は使わず、誰もが普通に使う言葉だけで書かれている。

なんでこの1行、自分が書かなかったんだろうと嫉妬するほど素晴らしい1行だと思った。


私はこの詞に曲をつけたいと思った。

前にも書いたが、私は歌詞最重視派だ。歌詞を書きたいがために曲を作ってるPだ。その私が、歌詞書きのプライドなど捨てて、自分から他人の詞に曲をつけたいと思った。この詞は、いろんな人に読ませるべき詞だと思ったからだ。


この曲は「いい曲」にしたいと思った。

カッコいい曲でもなく、センスのある曲でもなく、テクニカルな曲でもなく、売れそうな曲でもなく、奇をてらった曲でもなく、ただ「いい曲」にしたいと思った。

この曲を作るのは約半年かかった。仕事をしながら、風呂に入りながら、車を運転しながら、ずーっとこの歌詞をぶつぶつと口にして、ずっとメロディーを探していた。

そしてこの1行のメロディーは、職場のパソコン売り場でふと思いついた。すぐに電子ピアノ売り場に走って音を探して、メモに書き留めた。あの時もしお客さんに呼びとめられていたら、メロディーを忘れてしまっていたかもしれない。


この曲は、動画を作るにあたってイラストや写真をにゃっぽんで募集した。たくさんの人の手が関わった作品にしたいと思った。その募集には本当にたくさんの方が作品を寄せてくれた。そして、そのどれもがとても本気の作品だった。

普段はエロ美人の絵ばかり描いてる絵師さんが、広大な荒野の絵を描いてくれたことに震えた。ギターを置いて銃を取るレン、片腕を失くしたレン、泣きながら歌うレン、新しい芽に何かを見つめるレン、宗教絵画のようなイラスト、物語を語ったイラスト、とても書ききれないが、いろんな方のいろんな思いが詰まった作品をたくさんいただくことになった。

くしくも、うpする日は2009年のクリスマス・イヴになった。狙って合わせたのではない。たまたま重なっただけだが、すごくうpするのにピッタリだと思った。


萌え曲でもなければカッコいい曲でも聴きやすい曲でもないかもしれない。普通なら省略して短縮するべきところを、思いついたまま作ったせいで7分を超える曲になった。

だが、今まで自分が作った曲の中で、一番聞いてほしい曲であり、一番思い入れが深い曲であり、一番作った満足感が得られた曲だ。私はたぶん、ずっとこういう曲が作りたかった。

この曲を聞いて何も伝わらなかったら、私の他の曲もきっと君には何も伝えられないだろう。よかったら・・・ではなく、是非聞いてほしい曲です。

「遠いいざなみ」



同SNSで、友人Pである明太ロッカーさんが言っていた言葉だ。

60億分の1や100億分の1の想いは、すごく小さくて、世界から見たらほんのちっぽけな願いだけど、決してゼロではない。