実家では、珍しく親戚の話題が出ました。
なんと、
父親の伯母にあたる人のことで、ちょうど書類が来ていまして、
そこに家系が書いてあったのでした。


ここまで用意されていたとは、です。


まるで、眼前にヒントが出されたかのようでした。


そして、
父と母が なぜ惹かれあったかも、わかりました。


父の家系の とある人物と、同じ立場に母が居た(偶然)のでした。

父の解かねばならないパズル、
遺された宿題、みたいな感じだったのですかね、、


そして、私の名前は、その家系図の一番上の女性と一文字違いでした。

彼女は「スミ」、私は「マスミ」。 

私の曾祖母にあたる人でした。

この曾祖母は、若くして亡くなっていました。

(生年月日まで書いてあったのでした)


私は、おそらく、曾祖母と似たような年代のとき、大病になっています。

そこから、私は、死なずに立ち直りました。



私は、彼女のできなかったことを、次々と更新していっています。

彼女は、おそらく、今の私を見ると、
「すごく たくましい!!」
と 喜ぶはずです。



ふと、私は
曾祖母の想いを引き継いで生まれたのかな、と思いました。


曾祖母の生まれ変わり、ではないにしましても、
彼女の想い、は、おそらく引き継いでいる感じがしました。


幼い子どもたちを遺して逝く悲しみ。

健康でありたいという 強烈な想い。


「元気でさえいれば、
いえ、起きて何もできなくてもいい、
私の命さえ、つながれば、
子どもたちの育っていく姿が見える。

子どもたちを残しては旅立てない。

生きて、生きていたい」


という強力な想い、を
引き継いで、そして、実際に、私はしぶとく生き残り、
それどころか、人も施術しています。


「おばあさん、ひ孫は、やったよ!!
生き残ったよ!
そして、おばあさんがやりたかったことを、やっているよ。

子どもたちが大きくなるのを見ているんだよ。
これだけで、嬉しい。

お客様にも、生きて、生きてもらえるように
がんばって施術しているよ」

と 手を合わせました。


私が、気功を始めました原点は、
自分の大病が、
気功整体だけで治った、
という強烈な体験でした。


「神様、私の病気を治してください。
治してくださいましたら、人のために生きます」
と 何度も祈って、
窮地を脱した私も、

治りまして、悲願の気功整体師になり、
施術を重ねましたのはいいですが、
それが、16年もたってしまいますと、

次第に、ワガママを申すようになりまして、

やれ、歌を歌う、だとか、絵を描きたいだとか、
ともかく、助かりたかった、
生きたかった、
生きれさえすればいいんだと思っていたあの時代のヒリヒリするような想いは、

いつの間にか薄れて、

生きていることが当たり前、
体が動くことが当たり前、
心臓が鼓動することが当たり前、

感謝の気持ちが「当たり前」な気持ちになってしまっていたな、と思います。



私の原点は、
死に瀕した人を助けること
これだけです。



死に瀕してない人を助けるほうが
楽しいし、切迫感がないので
どんどん、ひよってきてしまいました。



特に、美容なんかは
とても楽しいです。


でも、実は、そこじゃない。




家系図で、若くして亡くなった「スミさん」の無念を思うとき、


可愛い子どもたちを3人も遺していったスミさんを思うとき、


どうしても生きたかった人に喜んでもらうのが、私の原点、と

思い出しました。




大阪気功
クラニオ気功
太田マスミ

masumiota313@@gmail.com

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