【雨に負けてもいい】
雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい
私が苦しい生き方をやめようと努力していた時、
これって 過去世からずっと自分はやってきた、
今世では やめる、と うっすら分かっていたのでした。
おそらくは、クリスチャンの前世です。
苦しむ人々を助けなきゃ、寄り添わなきゃ、と何世代にも渡ってやっていた、、
宮沢賢治の「雨にも負けず」のような生き方。
原文です↓
雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
欲はなく
決して怒らず
いつもしずかにわらっている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうに入れずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
野原の松の林の蔭の
小さな萓ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはオロオロあるき
みんなにデクノボーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい
、、
苦しくないですか?
あらゆることを、「自分をかんじょうに入れない」
ために生じている苦しさ、ではないでしょうか。
私は、まさに、
このように、生きたかった。
「みんなにデクノボーと呼ばれ」るのが好きでした♪
いつも、他の人よりは下に居て、
相対的に その人の素晴らしさが浮き立つような位置に居るのが好きでした。
それを、実家に居る時には、親を相手にやっていて、
大学では 友達相手に。
結婚してからは、元夫や元姑、舅に。
教師のときは、生徒たちに。
(ですので、かなり奉仕的な教師だったと思います)
また、東西南北に困っている人を探しに行って、
その人たちを助けたかったのも、同じです。
宮沢賢治ファンのかたには申し訳ないのですが、
こういう生き方って、なかなか 長続きしません。
賢治さんも没年は37でした。
何十年も、この生き方を続けるのは、非常に大変なのです。
物心つくのが7才としまして、
30年も、人のために、だけを第一に考えて暮らされたことを鑑みますと、
37歳でも、よく長生きされたのだと思います。
何か、自分のつたないブログに、
宮沢賢治さんに登場していただいて恐縮です。
私は、父親に
「自分のことは、二の次にしろ!
みんなのことを考えろ!」
と 教育されて育ったので、
「そうか、自分のことを考えてはいけないんだ」
と 素直にとりすぎていたのですが、
後半生をかけて、他人中心をやめて
まったく、自分中心の道へと、転換してきたのでした。
結局、人は、シャンパンのあふれた部分でしか、人を救うことは、できません。
あの、れいの「てっぺんからシャンパンが溢れて、(まずは自分を満たして)、
それから人に幸せを分けましょう、のシャンパンですよ↓
自分がカラッカラなのに
人にばかり満ちそうとしますと、
犠牲が激しすぎて、
「人のため」が、文字通り「偽」ニセ、
偽善になってしまいます。
私は、徹底的に自分を落とすことで
相対的に相手をあげる、ということをやってきたのですが、
自分を落とさなくても、
同じ分量だけ 相手に上がってもらうことは、できるな
と
いつからか 気がつき始めて、
あくまで自分は淡々としながら
私は何を言っても、何をやっても変わらない、
太田マスミに何を言ってもムダだな、
と
逆に思ってもらえれば、
それが成功だなと
今までとは真逆の方向から
自分は自分で居ながらにして
人も良くなっていただけるように なってきたのだと思います。
大きな大きな転換、でした。
今までは、人に ある一定以上は、近づいてもらいたくなかったのです。
なぜなら、私が犠牲になってしまい、
その人に全部をあげてしまうようになるから。
今は、全部をあげなくても、
「交流」
ということができるように(少しずつですが)
なってきましたので、
近づかれても、怖くなくなってきました。
また、ヘンな話ですか、
私が「全部 あげてしまうかも」という恐怖をもった裏返しとしまして、
「私は、全部をもらいたいかも」
という、とても依存的な部分が、
自分に隠されていたことにも、気がついていたのです。
小さい頃から、決して、決して 自分がもらえなかったものを。
もらおうと、そぶりでも見せたら、
親から激しく排斥されたであろうこと【甘える】だとか
【何もしなくても、愛される】とか。
そういう人との交流で
優しくされ慣れていない(!)ので
いきなり、おんぶに抱っこ!!を
要求してしまう恐怖、のようなものも、ありました。
これ、実は
2回目の結婚のときには、出しました!
今の夫は、重かっただろうと思います。
最初の結婚で、ついに 自分の要求を
ひとことも言わないまま、別れてしまった
という経緯がありましたので
(あんなケンカ1回もしないまま
平和なリコンをしたのも驚異ですが)
2回目の結婚では
そのぶん、自分が考えていること
こうしてほしいこと
こうは してほしくないこと、
全部 話してきたのでした。
夫の許容範囲に、感謝です。
私が軽くなってこれたのも、
本当、半分以上は、今の夫のおかげだと思います。
心理学を20年近くも勉強している夫に、
最初は
「心理学を20年も勉強しないといけないほど、
あなたはこじれていたのね」
などと毒づいていました(笑)が、
ある意味、カウンセラーと一緒に暮らしているようなものですから、
とても助かりました。
私が怒らせても、
「マスミさんに
僕を怒らせることは できない。
僕の中の
反応する部分は、
僕じしんの責任です。
僕の感情は、自分のものなので」
と 言ってくれて、
本当に助かったのでした。
親にもらえなかったものを、
かなり、この夫から受け取れたと思います。
私の中の巨大な空虚感、
自分なんかダメだ、バカだ、という無価値感、
私は毒な存在だという意味不明の罪悪感は
かーなーり 軽くなったのでした。
自分を責めるために使ってきた膨大な時間を、
もっと建設的なことのために使えるように
完全に移行できたか、というと
それはまだ、もう少し!
という感じですが、
本当に、かーなーり マシ!!です。
きのう、半年ぶりにカレーを作りました。
自分は家事で傷ついてきた、料理は大嫌いです、と公言してきたのですが
いよいよ、回復期に入ってきた(自分から進んで料理を楽しんでできる)
ような気がします!
散らばってしまった自分のカケラを
次々に取り戻して行き、
人生を楽しむことができるようになろう!と思っています。
大阪 気功師、占い師 太田マスミ
