「長曽根日子命」パート⑨
皇紀二千六百年記念祭(昭和15年)の
国家的行事の一つに、神武天皇聖蹟決定
というものが含まれていて、
かなり重要な位置を占めていたそうだ。
当時の常識としては、
神武天皇を高く評価する意味において
神武以前の「おおやまと」(大倭)の
「すめらみこと」(大君)を
足髄(あしすね)の長いやまと土着の
蛮賊の首長と考えて、
学校の国史でも教育してきたそうである。
この大君「長曽根日子命」のことを
古事記では「登美能那賀須泥毘古」
(とみのながすねひこ)
または「登美毘古」(とみひこ)、
日本書紀では
「長髄彦」(ながすねひこ)
の名称で伝えている。
「東に良き国あり」と
九州の王家に伝わっていたということは、
すでに素晴らしい国があったということ。
そこに住んでいた
先住の皆さんの気持ちに
寄り添ってみると
また違った歴史の見方が
出来るようになるのだろう。

