子育てには
「子どものため」と
「自分のため」の
二つの側面があります。
私がそこに気づいたエピソードを
ご紹介します。
学校では
研究授業という教員の研修があります。
1人の先生の1時間の授業を
(その1時間のために
数か月前から準備するのですが)
みんなで見合って
それぞれの授業の改善に
役立てるという研修です。
この研究授業の授業者になったとき
私はその後しばらく
子ども達に何だか違和感を感じることが多く
若い時はそれがなぜなのか
わかりませんでした。
でも
経験を積んで
わかったことは
子どものための授業ではなくて
自分のための授業に
なってしまっていたから
ということでした。
どういうことかと言いますと
たくさんの人に見られるという意識から
自分をよく見せたい、
失敗したくない、
いい評価をされたい。
そんな気持ちに駆られていたのです。
こうなると
いつの間にか
自分の言動や板書の文字
設定した時間通りの進行・・・
そこに気をとられすぎて
肝心な子どもから目が逸れてしまうのです。
子どもの学びのために
教師の言動、板書、進行の研究をしているのに
教師の言動、板書、進行を見せるための
子どもの学び
と、いつの間にか目的が
自分の中で逆転してしまっていたのです。
「あれ?なんだか私たちは置いていかれてる・・・?」
に近い何かを
子どもが察知していたから
小さな隙間ができてしまったんだな
と思うのです。

同じようなことが
子育てのいろんな場面にあるのではないかと
親の立場でも思います。
例えば
お姑さんから
「ちゃんと育ててるね」と思われたい。
電車で一緒になった他のお客さんに
「しつけがなってない」と思われたくない。
学校の先生に
「音読聞いてくれてるな」と思われたい。
ママ友に
「いつも変な服着てるな」て思われたくない。
・・・・・・・。
「子どものため」も
「自分のため」も
子どものよい姿という同じゴールを
目指しているので
自分では一生懸命やっているつもりが
気づかぬうちに
微妙な隙間を作ってしまう・・・![]()
でも…![]()
時間をかけて準備をして
神経を研ぎ澄ませて
教師が進めた授業の1時間だからこそ
子どもたちもより集中し
つけられた力があります。
同じように、
精一杯気を遣い
親が教えたりしつけたり与えたりするからこそ
お子さまに確実に
つけられる力があります。
一生懸命したことに
無駄なことなど何もなく
すべてひっくるめて
子育ての醍醐味なのではないでしょうか![]()