エコだの環境保護だのと、最近更に目立つようになってきましたね。
地球に住まざるを得ない以上は、地球環境の保護を何より最優先した方が良いのは誰でもわかると思います。
多くの人が興味を持つのは良いことなんじゃないでしょうか。

ただ、環境保護の為に不利益を強いられるのは、多くの人にとって受け入れがたいんじゃないでしょうか。
人間はわかりやすく利益の得られる方に流れます。
残念ながら環境に良い事の多くは、そうで無い事よりも損をしてしまいがちです。

正直、僕も不利益なエコは嫌です。
だから特別何もしていません口笛
ただ、何もしていなくても僕は環境に優しい人間だと思います。
何故なら異常なほど物持ちが良いからです。
靴はブーツ(10年)とクロックス(3年)と草履(4年)と冠婚葬祭用の革靴(10年)しか持ってないので修理しながら使ってます。
自転車は12年前に買ったものを壊れたところを直し続けて使っています。
仕事用の機械類も自分より年上の機械をジャンク同然で買ってきて完全修理して使っているのもあります。
パソコンも部品更新しやすく組んでなるべく永く持たせますし、家も修理しやすいことを念頭に置いて自分で設計しました。
なんとなく長持ちしているんじゃなくて、永く使う事に並々ならない執着を持っています。
単純に金がなくて且つ物凄いケチなので、払わなくていい金を払いたくないんです笑い泣き
ブーツ10年使った!修理代と併せても年間2500円!とか考えながら喜んでます。
これが良いことかと聞かれると、僕みたいな人間だらけになったら経済が破綻すると思いますから必ずしも良いとも言えないと思います(笑)

そんな僕の設計する道具も同じ概念で設計されているので、永く使える事に関しては驚異的です。
堅木無垢材の木製のフレームは基本的に壊れません。
まぁ、買った人が死ぬまでは確実に大丈夫です。(さすがに集成材は40〜50年くらいかもしれませんが。だからできれば使いたくない。無垢材なら例え水没して汚れたり曲がっても少し削れば綺麗になります。洪水被害で2台目を購入された方は一声かけて欲しかった…)
可動する金属部品などは、使えば使うほど劣化していつか必ず壊れますが(それも気が遠くなるくらい先でしょうけど)、そういった消耗部品には必ず簡単に交換部品の手に入る汎用品を使うようにしています。

わかりやすい例がハンドプレス機クオイオです。トグルクランプはAmazonなどでも当たり前に売っているものを使っていますし何使ってるかも公表してます。
トグルクランプのレビューに「どこでも手に入るトグルクランプなので同じものを安く作れました!」というのが結構ありますが、同じレベルのものを素人が作るのは不可能に近いでしょうし、そもそもそういう人は勘違いをしています。
クオイオの本体はフレームであり、その強度と精度があるから汎用品のトグルクランプという単なる部品を最大限に活かせるんです。
ホームセンターの安い木を細いビスで組んだ物や、アルミのキャスト材で組んだフレームで、クオイオを形だけパクってみても、45ミリ厚のケヤキとは比較にならないほど柔らかいので同じ性能にするのは不可能だという事です。
どこでも手に入る物だから「あえて」組み込んであるんですよ。
そしてもし金属部品が壊れても汎用品だから簡単に安く手に入りユーザーでも修理できる。
僕が死んだ後でも誰でも直せる。
だから半永久的に使える。
これがクラフトノラの道具の設計思想です。
「壊れなかったら売れないじゃん」とよく言われるんですが、そんな事考えて作ってるなら自信満々に自分の作ってる物を褒め称えて売れませんからね。
売れなくなったら大工に戻るだけなので別にいいです。

つまりは、レザークラフトをクラフトノラの道具で行い続けるだけで資源保護になります。
そもそもレザークラフト自体が食肉の副産物である革(完全循環できる資源)を使っているので資源の有効活用ですね。
こういうなんてことないことを楽しくやって、環境保護に繋がる事が真のエコだと思います。

補助金がないと話にならない上に廃棄の問題を解決できていない太陽光発電。
プラのストローをやめて高いけど紙ストローにしよう(そもそもストローなんて使わなきゃいいし、プラスチックは他にも大量にある)
プラスチック資源を大変だけど分別する(プラスチックは劣化するのでほぼ再利用できないから結局ほとんどゴミ処理場の燃料にされる)
などなど、お金と手間をかけて「無理して」環境保護しようとしていますが、やる人はやるでしょうしブームみたいなもので乗っかる企業もあるでしようけど、本質的な部分で広まらないんですよね。
そりゃ、やった方がいいのは当然なんだけど、損してまでやる?って問いには大多数がNOでしょう。
補助金下がったら太陽光発電工事の受注が激減したのが良い例です。

一人一人のレベルなら、日本人くらいの教育レベルなら誰もが持っている当たり前の倫理観にしたがって、ゴミをそこら辺に捨てないだとか、物は修理して永く使うだとか、水を出しっぱなしにしないだとか、とにかく当たり前の事を当たり前に誰もがやれば、努めて環境保護をしようとしなくても環境への影響はかなり小さくできると思います。
というか、それくらいしかできることはない。

これが自治体や国、世界規模なってくると個人でどうこうなるものではなくなります。
まぁそうは言っても、民主主義の社会では、民衆にも責任はありますが。
僕はその辺の大きい流れに対しては無力極まりないと思っているので、特に賛成も反対もしないことにしています。
産業革命から僅か250年くらいしか経っていないのに、もう資源枯渇の話が尽きないのは笑えると思いますが、なるようにしかならないのでとりあえずどうでもいいです。
そう、「なるようにしかならない」ですが、「割となんとかする」のが人間ですしね。
世界の指導層の人達も地球に生きていますし、その子孫達もまた地球で生きなければいけないのだからそれなりに賢明な判断をするだろうと、諦めにも似た期待をするだけです。